マラナタ 主よ 来てください!


畠神父


 10月9日 聖イノセント司祭殉教者 御受難会固有 祝日

10月9日 聖インノセント(無原罪の聖母の)司祭殉教者
無原罪の聖母のインノセント(エマヌエ レ カノウラ アルナウ)は1887年3月10日、スペインのモンドネード教区内のサンタ・ルチア・デル ヴァッレ・デ・オーロに生まれた。1905年7月27日に誓願を立て御受難会会員となった。1913年9月20日に司祭に叙階され、スペインの尊き御血管区の諸共同体で、聖なる役務に献身的に従事。いわゆる「一九三四年のアストリエ革命」の年、トゥロン(Turon)のラ・サール会(キリスト教学校修士会)の学院でミサを捧げていた時、8名のラ・サール会修士たちと共に、教会の敵対者によって投獄され、同年1934年10月9日、全員銃殺刑に処せられた。1999年11月21日、教皇ヨハネ・パウロ二世によって聖人の列に加えられた。



読書課
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 10月6日 福者イシドール・デ・ロール修道士 祝日 御受難会固有

10月6日 福者イシドール・デ・ロール修道士 (祝日)

御受難修道会では聖ヨゼフのイシドールとして知られるイシドール・デロールは、1881年4月13日、東フランドル地方のジェン・ガン教区のヴラセーヌという小さな町に生まれた。家は農家で、イシドールも野原や畑での仕事を愛しながら成長した。26才のとき修道生活への神のよびかけを感じ、助修士としてエルの御受難会修練院に入った。1908年9月13日、誓願をたて、その後は謙遜に共同体に仕えた。また共同体への奉仕にくわえて、会の精神を保ちつつ、特に深い祈りと償いの生活を送った。彼の右の目は腫ようにかかり、1911年に摘出しなければならなかった。修道者たち、助修士たちの中でイシドールは、愛徳と単純さ、仕事に対する誠実さと潜心の精神ゆえに尊敬されていた。数か月間、激しい痛みに苦しんだのち、1916年10月6日、ガンと肋膜炎で亡くなった。35歳の若さであり、修道生活はわずか9年間であった。 人々は彼のことを、〝気のよいブラザー〟、〝神のみ旨のブラザー〟と呼んでいた。1984年9月30日教皇ヨハネ・パウロ二世によって列福された。

神のことば フィリピ3章7~8a節
 わたしにとって益であったものを、キリストのゆえに わたしは今、損と思うようになった。そればかりか、わたしの主キリスト・イエズスを知っていることのすばらしさのゆえに、いっさいのものを損と思っている。

答唱
 先 深く味わって悟りを得よ。
 答 神をおそれる人には乏しいことがない アレルヤ。
 先 神を仰ぎ見る人の顔は輝き、
 答 神をおそれる人には乏しいことがない アレルヤ。
 先 栄光は父と子と聖霊に。
 答 深く味わって悟りを得よ。
神をおそれる人には乏しいことがない アレルヤ。

結びの祈願
主なる神よ、あなたは福者イシドール修道士の謙遜と労働の 精神のうちに、十字架の影に隠された生涯の模範を示してくださいました。私たちの日々の働きがあなたへの賛美となり、また兄弟姉妹たちへの愛の奉仕となりますように。
わたしたちの主イエズス・キリストによって、アーメン。
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 青年の集い

青年の集い ―― ともにさがす会主催(注参照) ―

 
池田教会、カール記念館で午後2時より青年6名(女性2名、男性4名)とともにさがす会スタッフ、松浦謙神父、SR篠崎、Sr小越、Br阿部、畠神父と一緒にみことばの分かち合いと夕べの祈りと聖体賛美式、そして食事を囲んでの団欒の時を持ちました。前日までは、申込者1名という悲観的な状況の中で、必死の祈りと呼びかけで5名の青年が参加してくれました。神に感謝!

スライド1スライド9Slide10

(1)ルムコの信仰入門講座の聖書朗読法 七ステップ法を全体の流れにの骨子にして集いが進められ、ルカ福音書24章13節~35節までの聖書箇所をゆっくり読み、心に響いた箇所を各自が祈りの心で読み上げ、その後、ポイントごとに再び読み、休憩後、それぞれの箇所の魂に響いた箇所を分かち合った。集い1集い2

(2)第二セッションは、それぞれの幼いときに育った家の見取り図を描き、そのなかで、プラスのイメージとマイナスのイメージの記憶を思い起こす時間をとった。


(3)聖体賛美と夕の祈りは、Br阿部のギター伴奏によりテゼの賛美の歌を歌ってご聖体を迎え、教会の祈りの詩編唱和を唱えた後、ルカの15章1節~一匹の羊を探しにでる羊飼いの箇所を朗読した。短い松浦謙神父の解説と祈りの導入があり、その後沈黙のうちに祈り、イエスを自分の家に迎えたプログラムで幼い日の思いを思い起こしながらイエスとの対話に入った。
集い3集い6集い7

(4)シスター篠崎が料理してくれた炊き込みご飯と野菜煮込みうどんを食べながら歓談した。とても温かい雰囲気を感じたとの感想を青年たちからもらった。集い03

ともにさがす会 (注)続きをご覧ください。
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 十字架の聖パウロの手紙 

あなたが深い神の現存の思いに圧倒されるなら、他のどんな祈りも行おうとしないで、その神の現存の感覚を味わいなさい。神に自分を委ね、神に憩い、すべての思い煩いを神の御手にゆだねるのです。明日のことは思い悩まず、今の時を生きればよい。今においてこそ神はいつも善き喜びに満たしてくださるからです。"...When a deep recollection comes over you from the Presence of God, accept it without attempting any other prayer. Abandon yourself to God, rest in God, and turn over to him the care of everything. Do not worry about tomorrow; live for the moment, fulfilling the Good Pleasure of God always..."

~Paul of the Cross' letter to Agnes Grazi 10th letter on April 17, 1734 in Volume #1 - Paul's Letter #72
スザン・M・ハーカー(Suzanne M. Harker)さんの霊的サークルから

nissei01コルベの森だより表紙絵から 

 マリア真田テレサさん逝去

 末期がんでガラシア病院ホスピス病棟に入院中のマリア真田テレサさんが今日9月26日(土)午後2時天に召されました。

 通夜   9月27日 日曜日 午後7時    日生中央教会聖堂
 葬儀   9月28日 月曜日 午前11時半   日生中央教会聖堂

 亡くなる前日、金曜日午後2時頃に訪問して、ゆるしの秘跡、全免償、そして聖体拝領(旅路の糧)を授けました。午後3時ごろ、他の患者を訪問していたわたしを呼ばれたので、ベッドのそばにいくと祈りを望まれたので、一緒に十字架の道行の祈りを始めました。イエス様は同じ苦しみを受けられたので、きっと助けてくださる信じました。痛みがなかなか止まらないので、痛みが止まるように祈ったのち、わたしは、主イエスにすべてをゆだねましょう、家族のしあわせのために祈りましょうと声をかけました。
 
 一留ごとの祈りに、肺に水がたまり苦しい息の中で、テレサさんは、「ハイ」とわたしの祈りの声に応えて最後までしっかりした意識で祈り、終わるとようやく安心して静かな時が続きました。わたしは、これで生涯の償いが終わりましたと宣言し、テレさん、家族のしあわせのためにたくさん祈りました。よかったねと手を握りました。それから、しばらくそばにいて、わたしが帰る4時半頃に、再び声をかけると、目をあけられて「ありがとう」と言われたので、手を握り返して「またお会いしましょう」といってテレサさんとお別れしました。 

 立派な最期で、誰もがまねのできない天国への旅立ちの準備のときでした。こんなに司祭に心を開いて最期まで祈りと秘跡の恵みの力を求めたテレサさんは、「子供たちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである」(マルコ10:14)と今、イエス様の国に迎え入れられました。幸せな人 テレサさん、神の国はあなたのものでです。育ち盛りの子供たちを残して天に召されることは不本意でしたでしょうが、これまで以上にもっと、あなたは、子供たちとともに歩み、救いの恵みをとりなすことでしょう。今日もまた主の栄光が輝きました。 

 ななちゃん 誕生日 9月25日

日生中央教会
 金曜日の今朝のミサは、ななちゃんの一歳の誕生日、朝は、10時から 賛美の詩篇を歌い、共同祈願をして、ななちゃんの成長を願って祈りました。 ミサ後ささやかな誕生祝いのケーキをいただきました。

 ななちゃん おめでとう! 
 生まれる前からミサに毎日あずかり、
 生まれてからは一番熱心に見つめている、
 わたしの声と口と目を
 そして、一歳たったら 
 おおきなお声で賛美の賛歌に 
 ななちゃん ウー ハイ ハイと合わせて大喜び
 皆 うれしくなって 赤ちゃんに笑顔をプレゼント

 ケーキなな

 9月24日 聖ストランビ (御受難会固有記念日)

九月二四日
聖ヴィンセント・マリア・ストランビ 司教
                記念 牧者共通

聖ヴィンセント・マリア・ストランビは、1745年、チヴィタヴェッキアに生まれた。司祭に叙階されてしばらくの後、創設されて間もない御受難修道会に入会した。ヴィンセンシオはイタリア中を旅しながら主の御受難について説教をし、キリスト者の生き方を説くことに尽力した。また、聖人伝や信仰修養書を執筆し、主の尊い御血に関する著作は特に優れている。聖ガスパール・デル・ブファロ、福者アンナ・マリア・タイギと並び、すぐれた霊的指導者であった。マチェラータとトレンティーノの司教に任命されると真の牧者として、使徒的な熱意によって聖職者と人々の改革を促進した。政治的動乱の時代にあっても、恐れることなく教会の自由を主張し、ナポレオンへの忠誠という背徳の誓いを立てるよりむしろ追放の身となることを選んだ。国外追放の後、復帰してからも使徒的な働きにおいて洞察力を発揮し、貧しい人々への愛を大いに示した。教皇レオ七世から個人的な相談役になるように呼ばれ、ヴィンセント司教は重病であった教皇の代わりに自らを神に捧げ、1824年1月1日、クイリナリスで生涯を終えた。

みことば:
神のことば (1ペトロ5:1~4)
あなたがたのうちの長老に勧める。わたしは同じ長老のひとりとして、また、キリストの苦難の証人であり、やがて現われる栄光にあずかる者として勧める。あなたがたにゆだねられている神の羊の群れを牧せよ。しいられてするのではなく、神のみこころに従って進んで行ない、恥ずべき利益のためではなく、献身的にせよ。ゆだねられた人々の上に権力をふるうことなく、群れの模範となれ。そうすれば、牧者のかしらが現われる時、朽ちることのない栄光の冠を受けるであろう。

共同祈願
 司 聖ヴィンセント・マリア・ストランビの祝日にあたって、聖人の取り次ぎを求め祈りましょう。③
先 御子イエスをわたしたちに与えられ、全ての人を救う使徒職を与えられた主よ、わたしたちが聖人に倣って、御子の御血の尊さと力を生き、世界に宣べ伝えることが出来ますように。
答 主よ、わたしたちの祈りを聞き入れてください。
先 主よ、わたしたちが日々愛する御子の御受難の神秘の中に霊の源泉をいただくことが出来ますように。
先 十字架の聖パウロに親しく生きた聖人の模範によって、わたしたちも成聖の道を歩むことが出来ますように。
答 主よ、・・・
先 自由が奪われている国々での宣教と信仰生活が、聖人の取り次ぎによって守られ進展することが出来ますように。
答 主よ、・・・
先 世界の御受難会員が聖人に倣い、真の牧者として教会に奉仕することが出来ますように。
答 主よ、・・・
先 執筆活動を使徒職にしている作家・神学者・司祭が率先して真理の道を深く極め、教会の徳を高めることが出来ますように。
答 主よ、・・・

主の祈り:
結びの祈願:
全能永遠の神よ、あなたは司教聖ヴィンセンシオ・マリアを羊の群れを導く献身的な牧者とし、教会の忠実なしもべとされました。聖人の模範に強められ、わたしたちも教会の一員として隣人を愛し、正義のために働くことができますように。
わたしたちの主イエズス・キリストによって、アーメン。
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 北摂地区大会― 八教会合同堅信式 ―

パウロ年を記念して企画された北摂地区大会、新型インフルエンザ流行で聖母被昇天学院閉校となり、5月24日(日)昇天の主日の午後の予定日を延期するというハプニングに見舞われました。昨日、9月23日(水)大型連休最終日に、満を期して大会を開催。曇り空ながら天気に恵まれ、参加予定者はインフルエンザの猛威を免れてほぼ全員とは言えないが139名が無事に堅信式を受けることができました。デオ・グラチアス、神に栄光、主に賛美。皆さまのお祈りありがとうございます。


堅信式
 参加人数   550名 
 堅信者   139名
 代親     101名
 欠席受堅者  16 名  

準備(典礼実行委員長 花木さんの挨拶と手順の説明)

堅信1

屋外パネル展示 (カンボジア支援とワールドユースデイ―WYD―)
展示1展示2

受付風景 池田ー日生中央の受付 
(林議長と高田夫妻)
受付1受付2

会場風景 池田教会の受堅者と代親会場1会場2       将来の受堅者ヘンリー君マイヤ

 十字架の聖パウロの手紙から学ぶ知恵

自分の喜びや感情に利己的になることから引き離された魂はなんと幸いなことでしょう。一つの深遠な教訓です。神でないあらゆるものに対して救い主の十字架上で死ぬことによって、イエス・キリストの十字架にあなたの宝を置くならば、神はその幸いを学べるように助けてくださるのです。
"...fortunate is the soul that is detached from her own rejoicing and feeling and self-seeking! This is a deep lesson. God will help you learn it, if you put your pleasure in the cross of Jesus Christ by dying on the cross of the Savior to everything that is not God..."

~Paul of the Cross' letter to Agnes Grazi 9th letter on March 17, 1734 in Volume #1 - Paul's Letter #70

 堅信の秘跡の準備 ― 堅信を受けるあなたへの手紙 (4)

9月19日最終回 堅信準備講座を開きました。
堅信を受ける受堅候補者には手紙でコンタクトしながら準備を進めてきました。 いよいよです。

9月23日(水)午後10時 北摂地区合同堅信式

 9時半 聖母被昇天学院 聖堂前集合
 10時 堅信式ミサ 開始 
 12時 式終了 予定
 12時 WYD参加青年によるメッセージ
 車は各教会5台の許可車のみが駐車できます。(北口から)


 皆さん、いかがお過ごしですか? あなたの学校では新型インフルエンザが流行していませんか? 堅信式の当日38度以上の熱があったりした場合や、家族に当日より一週間以内に新型インフルエンザに罹患して療養中であれば堅信式をうけることができません。どうか、来週の水曜日の堅信式当日までに新型インフルエンザにかからないように気をつけましょう。

 さて、皆さんにお送りしている手紙シリーズはまだ堅信の秘跡の話に入っていません。長い手紙なのでいやになって、もう分からないから受けたくないと考える人もいるでしょう。でも、「聖霊とともに」のテキストの「まとめ」39ページにあるように、「堅信の秘跡は、わたしたちの心と人生に聖霊を迎える機会です」。「そのよい機会」が9月23日の水曜日(午前10時)に行われるのです。皆さんに、聖霊を迎える準備のために、知ってほしいこと、考えてほしいことがいっぱいありましたが、その準備は知識を詰め込むことではなく、恵みとしていただいた信仰を確認し、その信仰をあなたの人生の中で生きるために最も必要な助けと力をくださいと聖霊に願うことなのです。まずは、当日にも歌う「聖霊の続唱」をなんどか口ずさみ祈りましょう。

 皆さん、聖霊に来てほしいという望みが起こりましたか?そうであれば、ずいぶんと準備ができました。さて、今日は、祈りをしたのちに、知識を整理し、最小限、堅信式までに心の準備をしましょう。そこで、皆さんにお渡ししたテキストブックの目次をご覧ください。前回までの私の手紙とは違い簡単によくまとめられています。(続きをクリック)

 これまでの堅信の講座では、たくさんのプリントを配りました。8回の講座のなかで配ったもので、欠席した人は持っていないかもしれません。(資料のリストを → 続きの欄に掲載 )

 
 材料やプリントはたくさんありました。講座は以下のような内容を目指しました。それは毎週の主日のミサとの関係を明らかにしようと考えたからです。そこで、最後の晩さんとその時の別れの説教の中で約束された聖霊を説明しようとしました。プリント(5)救いの歴史概観と典礼暦とプリント(9)言葉の祭儀の構造図です。これは主日のミサの典礼に積極的参加をして、福音朗読のキリストの行いに目を留めていただきたいと思いました。

 キリスト者の生活の土台は、入信の秘跡である、洗礼、堅信、聖体の三つの秘跡からなり、「秘跡による恵み」とは、キリストによって与えられる聖霊の恵みです。キリストをよく知ることによって、その与えられる恵みも明らかです。御ひとり子イエスのいのちに一致させ、神の本性に与ることなのです。神の生命に与り、愛の完成へと進んでいきます。「キリストのように考え、キリストのように話し、キリストのように行い、キリストのように愛そう」という典礼聖歌の理想を生活の中で実践することを目指します。これが秘跡の基礎的な理解になるでしょう。

 そして、教会にはそれぞれにキリストが制定した固有の秘跡があります。七つありますね・・・そして、それらの秘跡の中で働かれるのはキリストご自身なのです。キリストの名によって願われる祈り(エピクレーシス)において、聖霊がすべてを変容させ、神のいのち(神の恵み)をあたえられるのです。

 さて、堅信は洗礼と切り離すことができません。そのため、洗礼と堅信と聖体は、入信の秘跡として大人の洗礼では、同じ洗礼式のなかで授けられます。これによって新しい人としての生活が始まります。秘跡(しるしとことば)を通して神のいのちが私たちに授けられるからです。

 皆さんの場合は、洗礼と堅信と初聖体が異なる機会に与えられますが、幼いときには、ご両親の信仰のなかで、神のいのちが授けられました。洗礼・堅信は、それぞれ主の復活と聖霊降臨の祝いの内容を示唆する秘跡です。洗礼によって神の子とされ、教会に受け入れられたキリストの弟子である信者は、堅信によって、聖霊降臨によってキリストの使命を継続する教会の使命に参加し、日常生活の中で神の救いの業を実現する協力者となるように招かれます。そのために必要な力を授けるのが堅信の秘跡です。豊かに聖霊が贈られる教会の使命と奉仕のための賜物を授けます。

 ところで、洗礼では聖霊による洗礼を意味するものですが、その時に主に働く聖霊は、神の命を与えて神の子とすることと神との隔ての壁(原罪)を取り除く和解の恵みを受け罪が赦されるのです。こうして神の命が自然の命に接木され神の子の身分を受けるのです。しかし、洗礼によって、王職、預言職、祭司職を充分に果たすためには、キリストのように(油注がれた者)となるカリスマ(恵みの賜物)をうける必要があります。キリストの命である仕える者となられた主に従うためには、キリストの油、聖香油(しるし)を通して奉仕の恵み(カリスマ)を授かるのです。これが堅信の秘跡で信者の奉仕職の土台です。結婚の秘跡や叙階の秘跡でこの堅信の秘跡を受けていないと、うける準備をします。残念ながら最近は結婚の秘跡を受ける際に堅信の秘跡がまだだからといって受ける人がいなくなりました。堅信の秘跡が軽んじられているように思います。(脱線)これらの秘跡を受ける前に、ゆるしの秘跡を受ける必要を感じる人もいるでしょう。ヨハネの福音書には、復活されたイエスが弟子たちに最初にしたことは、「聖霊をうけなさい。あなた方が赦すなら罪は赦され、赦さないならば、そのまま残る」と告げられたからです。罪のゆるしは聖霊によるものです。しかも主の十字架のあがないの力から聖霊が息吹くのです。だから息を吹きかけるように聖霊を受けなさいとイエスは言われるのです。それは、創造の初めのアダムにいのちの息を吹き込まれた時と同じ創造の業、贖いの業である罪のゆるしは新しい創造なのです。

 現在、ほとんど教会生活をしていないとか、神の子の意識を失い、世俗的な生き方に翻弄されている人は、まったく教会生活と縁がないように神から離れていると思われます。でも、堅信は、洗礼と同じ主への告白です。わたしの人生の生き方として、また教会の使命に参加して奉仕する者となることを主に忠誠を誓うのです。再び神の子の使命を引き受けましょう。すばらしい人生が始まります。 
 
 信仰告白と祈り(嘆願)式次第では、それが強調されています。とくに悪霊の拒否を、現代の生活の欲望的な誘惑として退け、信仰生活を選ぶ決意の表明がいちばん聖霊を豊かにうけることになります。


 上に述べたことを聖霊準備講座で話したつもりです。講座の項目を下に並べてみました。○数字は、講座の順番です。

① 救いの歴史 概観 創造から黙示までの聖書のビジョン
② 救いの歴史 概観 イエス・キリストの誕生までの救いの道
③ キリストの秘義神学とミサの朗読箇所との関連
④ 最後の晩餐でのイエスの約束 告別のことば、聖霊の派遣・・・
⑤ 秘跡とは何か? 聖霊の派遣と新しい秘跡論
⑥ 復活されたキリストの秘跡である教会
⑦ キリストの現存のしるし、イエスの霊と聖霊の賜物
⑧ 聖霊の賜物(キリストの死に与るカリスマ)


 ところで、長い手紙では、第一の質問と第二の質問をして、偶然か計画かを問うてみました。自然界には法則があることはわかるが、人間にはハプニングが多いことも私たちの経験です。人間には予測のつかないことが起こることが多々あるということです。しかし、私たちは偶然でなく神の招きを信じます。人間には不確定な要素が多いので、災害や悪に遭遇して不幸な事件に巻き込まれることは避けられない時がありますが、それを超自然的な神の力や業と考え、不幸を神や悪魔の仕業と憤る人や自然の運命と諦める人もいます。

 しかし、わたしたちキリスト者は、啓示によって、イエス・キリストがあらわされた神と神の計画を知り、新しい天と地を準備するために人類共同体に奉仕するように召されているので、運命のいたずらに際しても、あきらめずに働きます。また神の創造と贖いの協力者として、神のみこころが地にも行われるように人類の福祉の進歩に力を尽くし、「恩恵と正義の国」人類と神との一致を目指して歩みます。「聖霊」は、そのために「私たちと共にいてくださる神」なのです。

 恵みの賜物を満ち溢れるほど受けてください。
 ✙ 聖霊、来てください。
 信じる者の心を愛の火で燃やしてください。
 
  畠 基幸 神父
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