マラナタ 主よ 来てください!


畠神父


 池田教会のアルファ コース始まる

10時集合 スタッフメンバーで会のために祈る。αコースは三回目です。A=だれでも、L=学びと笑いの中で、P=パスタ(食事)、H=互いに助け合い、A=なんでも質問できる。ALPHA(アルファ)の会の精神を確認して、参加者のために「ヴェニ・クレア・スピリトゥス」の祈りを唱えてスタッフは各自の部署に就く。

第一課 「キリスト教とは」

 自己紹介から始まり、ビデオ観賞、分かち合い、食事と和気あいあいとした雰囲気で一回目が終わり散会した。
アルファ515 自己紹介の模様

 アルファコースのビデオは三回目という方も何人かおられ、全体的にキリスト教の内容の展開は見えてきて、質問もより高度な教義の本質に触れるものが多くなりました。遠藤周作の「わたしのイエス」を読んだ感想が話題になり、キリストの復活、昇天のとらえ方としては遠藤周作の作品の方がわかりやすく共感できると信者でない方からの質問があった。キリスト教に全く無関心だった方が、だんだんと信仰に近づいてこられるようで主催者はうれしく感じます。

 アルファ・コースへのご案内

池田教会では2年前からアルファ・コースを開催しています。松下良博さんの音頭で、週一回 16週間の予定で「人生の問題」をキリスト教の観点から勉強します。アルファ・コースは、イギリスの聖公会の牧師先生ニッキー・ギャンベルが司会しながら進めていく入門講座です。この講座のビデオを皆で毎回約40分観賞し、あとでお茶を飲みながら感想を話し合ったり、わかりにくい箇所を質問したりして会は進めていきます。世話役の松下さんはざっくばらんの朗らかな性格で、楽しい分かち合いの場にしようと場の雰囲気作りに工夫を凝らしています。会費も昼食代とお茶代の費用(500円)です。安心して参加できる池田教会の看板講座です。夏休みもありますので、五か月の期間でスタッフや参加者の交流の場、生きがい講座としてご活用していただけるものと思います。第一回の男性参加者たちは、退職後の友人作りやボランティア活動に元気はつらつと活躍しておられます。

開催日  5月 15日、22日、29日
     6月 5日、19日、26日
     7月 3日、17日、
     9月 4日、18日、25日
     10月 2日、23日、30日
     11月 6日、20日。

「アルファ・コース」終了後も、フォローアップとして、旧約聖書のビデオ(手塚治虫のアニメ聖書)を9回、イエスの生涯のビデオ(ジーザス)のシリーズを上映(2か月間)して、聖書の全貌を楽しく勉強できるのではと考えています。
時間  10時30分 ~ 午後1時30分
場所  池田教会 カール記念館 1階集会室
費用  各回500円 (昼食代など実費)
スタッフ:アルファ・コース世話役一同 (代表松下 良博)
責任者 畠 基幸

 堅信の秘跡の準備 ― 堅信を受けるあなたへの手紙 (4)

9月19日最終回 堅信準備講座を開きました。
堅信を受ける受堅候補者には手紙でコンタクトしながら準備を進めてきました。 いよいよです。

9月23日(水)午後10時 北摂地区合同堅信式

 9時半 聖母被昇天学院 聖堂前集合
 10時 堅信式ミサ 開始 
 12時 式終了 予定
 12時 WYD参加青年によるメッセージ
 車は各教会5台の許可車のみが駐車できます。(北口から)


 皆さん、いかがお過ごしですか? あなたの学校では新型インフルエンザが流行していませんか? 堅信式の当日38度以上の熱があったりした場合や、家族に当日より一週間以内に新型インフルエンザに罹患して療養中であれば堅信式をうけることができません。どうか、来週の水曜日の堅信式当日までに新型インフルエンザにかからないように気をつけましょう。

 さて、皆さんにお送りしている手紙シリーズはまだ堅信の秘跡の話に入っていません。長い手紙なのでいやになって、もう分からないから受けたくないと考える人もいるでしょう。でも、「聖霊とともに」のテキストの「まとめ」39ページにあるように、「堅信の秘跡は、わたしたちの心と人生に聖霊を迎える機会です」。「そのよい機会」が9月23日の水曜日(午前10時)に行われるのです。皆さんに、聖霊を迎える準備のために、知ってほしいこと、考えてほしいことがいっぱいありましたが、その準備は知識を詰め込むことではなく、恵みとしていただいた信仰を確認し、その信仰をあなたの人生の中で生きるために最も必要な助けと力をくださいと聖霊に願うことなのです。まずは、当日にも歌う「聖霊の続唱」をなんどか口ずさみ祈りましょう。

 皆さん、聖霊に来てほしいという望みが起こりましたか?そうであれば、ずいぶんと準備ができました。さて、今日は、祈りをしたのちに、知識を整理し、最小限、堅信式までに心の準備をしましょう。そこで、皆さんにお渡ししたテキストブックの目次をご覧ください。前回までの私の手紙とは違い簡単によくまとめられています。(続きをクリック)

 これまでの堅信の講座では、たくさんのプリントを配りました。8回の講座のなかで配ったもので、欠席した人は持っていないかもしれません。(資料のリストを → 続きの欄に掲載 )

 
 材料やプリントはたくさんありました。講座は以下のような内容を目指しました。それは毎週の主日のミサとの関係を明らかにしようと考えたからです。そこで、最後の晩さんとその時の別れの説教の中で約束された聖霊を説明しようとしました。プリント(5)救いの歴史概観と典礼暦とプリント(9)言葉の祭儀の構造図です。これは主日のミサの典礼に積極的参加をして、福音朗読のキリストの行いに目を留めていただきたいと思いました。

 キリスト者の生活の土台は、入信の秘跡である、洗礼、堅信、聖体の三つの秘跡からなり、「秘跡による恵み」とは、キリストによって与えられる聖霊の恵みです。キリストをよく知ることによって、その与えられる恵みも明らかです。御ひとり子イエスのいのちに一致させ、神の本性に与ることなのです。神の生命に与り、愛の完成へと進んでいきます。「キリストのように考え、キリストのように話し、キリストのように行い、キリストのように愛そう」という典礼聖歌の理想を生活の中で実践することを目指します。これが秘跡の基礎的な理解になるでしょう。

 そして、教会にはそれぞれにキリストが制定した固有の秘跡があります。七つありますね・・・そして、それらの秘跡の中で働かれるのはキリストご自身なのです。キリストの名によって願われる祈り(エピクレーシス)において、聖霊がすべてを変容させ、神のいのち(神の恵み)をあたえられるのです。

 さて、堅信は洗礼と切り離すことができません。そのため、洗礼と堅信と聖体は、入信の秘跡として大人の洗礼では、同じ洗礼式のなかで授けられます。これによって新しい人としての生活が始まります。秘跡(しるしとことば)を通して神のいのちが私たちに授けられるからです。

 皆さんの場合は、洗礼と堅信と初聖体が異なる機会に与えられますが、幼いときには、ご両親の信仰のなかで、神のいのちが授けられました。洗礼・堅信は、それぞれ主の復活と聖霊降臨の祝いの内容を示唆する秘跡です。洗礼によって神の子とされ、教会に受け入れられたキリストの弟子である信者は、堅信によって、聖霊降臨によってキリストの使命を継続する教会の使命に参加し、日常生活の中で神の救いの業を実現する協力者となるように招かれます。そのために必要な力を授けるのが堅信の秘跡です。豊かに聖霊が贈られる教会の使命と奉仕のための賜物を授けます。

 ところで、洗礼では聖霊による洗礼を意味するものですが、その時に主に働く聖霊は、神の命を与えて神の子とすることと神との隔ての壁(原罪)を取り除く和解の恵みを受け罪が赦されるのです。こうして神の命が自然の命に接木され神の子の身分を受けるのです。しかし、洗礼によって、王職、預言職、祭司職を充分に果たすためには、キリストのように(油注がれた者)となるカリスマ(恵みの賜物)をうける必要があります。キリストの命である仕える者となられた主に従うためには、キリストの油、聖香油(しるし)を通して奉仕の恵み(カリスマ)を授かるのです。これが堅信の秘跡で信者の奉仕職の土台です。結婚の秘跡や叙階の秘跡でこの堅信の秘跡を受けていないと、うける準備をします。残念ながら最近は結婚の秘跡を受ける際に堅信の秘跡がまだだからといって受ける人がいなくなりました。堅信の秘跡が軽んじられているように思います。(脱線)これらの秘跡を受ける前に、ゆるしの秘跡を受ける必要を感じる人もいるでしょう。ヨハネの福音書には、復活されたイエスが弟子たちに最初にしたことは、「聖霊をうけなさい。あなた方が赦すなら罪は赦され、赦さないならば、そのまま残る」と告げられたからです。罪のゆるしは聖霊によるものです。しかも主の十字架のあがないの力から聖霊が息吹くのです。だから息を吹きかけるように聖霊を受けなさいとイエスは言われるのです。それは、創造の初めのアダムにいのちの息を吹き込まれた時と同じ創造の業、贖いの業である罪のゆるしは新しい創造なのです。

 現在、ほとんど教会生活をしていないとか、神の子の意識を失い、世俗的な生き方に翻弄されている人は、まったく教会生活と縁がないように神から離れていると思われます。でも、堅信は、洗礼と同じ主への告白です。わたしの人生の生き方として、また教会の使命に参加して奉仕する者となることを主に忠誠を誓うのです。再び神の子の使命を引き受けましょう。すばらしい人生が始まります。 
 
 信仰告白と祈り(嘆願)式次第では、それが強調されています。とくに悪霊の拒否を、現代の生活の欲望的な誘惑として退け、信仰生活を選ぶ決意の表明がいちばん聖霊を豊かにうけることになります。


 上に述べたことを聖霊準備講座で話したつもりです。講座の項目を下に並べてみました。○数字は、講座の順番です。

① 救いの歴史 概観 創造から黙示までの聖書のビジョン
② 救いの歴史 概観 イエス・キリストの誕生までの救いの道
③ キリストの秘義神学とミサの朗読箇所との関連
④ 最後の晩餐でのイエスの約束 告別のことば、聖霊の派遣・・・
⑤ 秘跡とは何か? 聖霊の派遣と新しい秘跡論
⑥ 復活されたキリストの秘跡である教会
⑦ キリストの現存のしるし、イエスの霊と聖霊の賜物
⑧ 聖霊の賜物(キリストの死に与るカリスマ)


 ところで、長い手紙では、第一の質問と第二の質問をして、偶然か計画かを問うてみました。自然界には法則があることはわかるが、人間にはハプニングが多いことも私たちの経験です。人間には予測のつかないことが起こることが多々あるということです。しかし、私たちは偶然でなく神の招きを信じます。人間には不確定な要素が多いので、災害や悪に遭遇して不幸な事件に巻き込まれることは避けられない時がありますが、それを超自然的な神の力や業と考え、不幸を神や悪魔の仕業と憤る人や自然の運命と諦める人もいます。

 しかし、わたしたちキリスト者は、啓示によって、イエス・キリストがあらわされた神と神の計画を知り、新しい天と地を準備するために人類共同体に奉仕するように召されているので、運命のいたずらに際しても、あきらめずに働きます。また神の創造と贖いの協力者として、神のみこころが地にも行われるように人類の福祉の進歩に力を尽くし、「恩恵と正義の国」人類と神との一致を目指して歩みます。「聖霊」は、そのために「私たちと共にいてくださる神」なのです。

 恵みの賜物を満ち溢れるほど受けてください。
 ✙ 聖霊、来てください。
 信じる者の心を愛の火で燃やしてください。
 
  畠 基幸 神父
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 堅信を受けるあなたへの手紙 (3)

✚主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが皆さんとともに!

夏休みが終わり、新学期が始まりました。その後、お元気にしておられますか? 前回の手紙に続いて、堅信の準備の手紙、第三弾です。

 前回の手紙で、信仰の問題を質問で始めました。第一の質問、宇宙の起源の起源について、そして第二の質問は、私たち自身の存在の起源についてです。さて、みなさんの心のなかにどんな反応が起こっていることでしょうか?そんなことは考える必要もない。生きている今が大切なのだと叫ぶかもしれません。明日の試験を無事に終えることに没頭しておられるかもしれません。忙しいのになんて長い手紙を送ってくるのか、こんなの読みたくないと封も切らないまま置いてあるかもしれませんね・・・ でも、9月23日に堅信を受ける心の準備は必要です。だから皆さんの時間にお邪魔して神父のお話も聞いて参考にして欲しいのです。

皆さんの手元にある「聖霊とともに」のテキストでは、ページ4ページと5ページには、「さまざまなチャレンジの時に私たちは意思決定をしなければならない」と切り出して、その決定に聖霊が皆さんの「内なる声」として助けてくださることを書いています。皆さんの人生で大切なとき、つまり、人生の進路を決めるとき、就職するとき、結婚するときなど、また病気になって複数の治療方法を選ぶ時に、みなさんが何をどのように選択するのか?こんな選択の意思を決定する指針はどこにあるのか?皆さんは、何か参考になる原則を持っていますか?チャレンジに対して決断することは、責任が生じることも触れています。このような困難な時に信仰は何の力になるのでしょうか? 

テキストでは、そのような時に、意味のある答えを見出すために、あなたは、一人ではなく、助け手であり、励まし、導きて、私たちの中で燃える火を与えてくださる方、その方がともにおられる。その方が、聖霊であり、「内なる声」の働きだと説明してあります。私たちはこの方をよく知らないので、この「内なる声」を探し求める必要があると・・・しかし、こんなにうまく都合よく働いてくださるのか疑問ですし、近くの大人の信者に堅信を受けたらそのような助けがうけられたのですかと聞いたら、聖霊が導いているなんて実感したこともないと答えるかもしれません。テキストの説明では十分ではないと思います。神様はどこにおられるのですかと聞くと、どこにでもおられます。神様ですから。でもどこであなたは神様に出会いましたかと聞かれると返事に困るというのと似ていますね。

「聖霊とともに」の小冊子のテキストは、すでに幼児洗礼をうけて教会生活をしている皆さんに堅信の秘跡を受ける準備として用意されています。神の存在や信仰の受諾は前提として話されています。しかし、皆さんに知ってほしいことは、聖霊が「内なる声」としてよりも先ず、「神」であること、その信仰を前提として、キリスト教の神概念の非常に特徴ある神の本性、神が「霊」であり「聖」である方で、二つの特性が一つになっている名で呼ばれる方であることを知ってほしいと思います。小冊子のテキストは、洗礼のために勉強したキリスト教の入門の神概念を前提として、これを説明しないまま聖霊の働きについて説明しているのです。(第2章)そこで、再び、あの第一の質問と第二の質問を考えてみることにします。
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 堅信を受けるあなたへの手紙(2)

✞被昇天の祭日 おめでとうございます。
 
残暑の暑い毎日が続きます。みなさんはいかがお過ごしですか?
 前回の手紙に続いて、堅信の準備の手紙、第二弾です。

 9月23日の堅信式まで時間があるようですが、あっという間に来てしまいます。それで、前回みなさんにお贈りしたテキスト「聖霊とともに」を一緒に読んでみましょう。この本には、「You are not alone!」とサブタイトルがありますね・・・皆さんは一人ではないのです。そして、「大人のための堅信の手引き」とあるので、自分には難しすぎると思った人もおられることでしょう。
でも、信仰は、イエスについての知識を増やすことではなく、イエスと友のように親しくなりイエスを主として知ることなのです。読み書きができる中学生にもなれば、十分な知識を増やすことができるでしょう。しかし、イエスを友のように親しくなるためには、どうすればよいのか? それは、大人にはかなり難しいのです。それを教えてくださるのが聖霊です。聖霊が一番の私たちの導き手です。この方がどういう方なのか、何をしてくださるのか、どのようにすれば聖霊に導かれるのか? そんなことを予備知識として持ち、祈りの時に聖霊に親しむ習慣を学ぶのが堅信準備講座です。

 最初の章は、「聖霊の導きの必要性」についてです。
 「わたしたちは深い信仰をもち、イエスの歩まれた道に忠実に従いたいと望んでみても、実際には他の多くの人々と同じように生きているのです。」
どうでしょうか?皆さんは、「他の多くの人々と同じように生きているのです」という表現をどう感じましたか? 同じだと思いましたか? 皆さんは、洗礼を受けた信者で、信者の家庭にいます。日曜日にはミサに与ります。どこか他の多くの人と同じですか? 違うところがありますか?

 「人生は終わりのない戦いです」と次のパラグラフにあるように、わたしたちは、人生において「他の多くの人々同じように、成長の各段階で、より大きな夢を追うたびに、チャレンジを受けます」。「神の呼びかけに答え、一人で未知の暗闇を歩く」こともあると書かれていました。わたしたちは、このような人生のチャレンジの時に、信者であることは何かお恵があるのでしょうか?ここで人生における「信仰」の意味を考えることは人間として大きな成長の助けとなります。

「信仰」ということばは、抽象的です。具体的にみなさんに考える材料としてこの質問をしてみましょう。この世界は偶然にうまれたのですか? あなたは偶然に存在したのですか?最初の問いに対しては、多くの人はビッグバンで生まれたのだと偶然に宇宙が始まったと考えていますね。あるいは誰も考えても分からないことだから考えようともしません。でも第二の問いはどうでしょう? あなたは偶然に生まれたのですか? どうしても偶然にわたしは生まれたとはいえません。誰かが望んだからあなたは存在しているのであり、あなたが生まれる前に両親があなたの存在を望まれたのです。では、第一の質問はどうでしょうか? この世界が神の愛によって生まれたと信じるのは信仰者です。この世界が偶然に生まれ、自分の存在も偶然のいたずらだと考える人は、愛の神を否定します。第二の質問も、すべては人間の意志によって決定されると考えると、人の命は人間の判断によるということになります。生むか生まないかの決定権は人間にあるという考え方です。両親の決定以上に、いのちは神からのもので、両親にも一個の生命を奪う権利がなく、望もうと望まないとわたしが存在するのは神の愛によると考えるのは信仰者です。また、第一の質問に対して、神の創造を信じる人も、第二の質問に対しては、人間の幸せのために必要なら生命を奪うことも許されると考える人もいます。これは、「多くの人と同じように生きている」といわれても仕方がありません。信仰と生活の分離です。信仰のない人は、第一の質問に対しては、偶然でも神の創造でも大した違いはないと考えており、第二の質問に対しては、現在の生きている人の幸せを基準に考えるという立場ではないかと思います。あなたはどのように考えているでしょうか?



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 堅信式を受けるあなたへの手紙

暑中お見舞い申し上げます。

 主はみなさんと共に! 
 この手紙は、堅信の準備をしている皆さんにむけて書いています。

 堅信式は、9月23日午前10時 被昇天学園の聖堂で池長大司教様の司式のもとに行われます。これまで堅信の準備の講座を行いましたが、十分とは言えない中途半端なものだったと私は反省し振り返っています。

 堅信式は、幼児洗礼をうけた皆さんにとっては、ある意味で、洗礼式に匹敵するような内容です。だから教会では、堅信式をとても大切なことと考えています。みなさんの信仰は、家族や親の信仰によって授けられました。親が人生の中で一番大切にしている信仰を愛しているあなたに伝えたのです。あなたは、まだ自分がなぜ日曜日に教会に行かなければならないのか不審に思って、次第に教会のことや信者であることを疎ましく思っているかもしれません。だから、堅信式は、みなさんにとっては、この機会に信者であることは自分にとって何の意味があるのかをじっくり考える必要があるのです。つまり、信仰は神から与えられた賜物であり、主イエス・キリストの名により神の子の身分を与えられたことは、何が人生の目的であり、何があなた自身の人生を豊かにし、何が人々のしあわせとなるのかを考える道が示され、一度限りのあなたの人生を有意義に生きる基盤がすでに与えられていることなのです。だから、堅信式の年齢に達したから、形式的に講座を受けて、自動的に大人の信仰が固められるとは考えて欲しくないのです。堅信式の準備は、信仰の中心、聖霊の働きを理解し、日々の生活のなかで、一人ではなく、あなたとともにいる神、聖霊の導きのもとに生きる決意をすることなのです。

 この夏休み、皆さんに少しでもその導きの手引きができたら幸せに思っています。そこで、「聖霊とともに」(You are not alone! )の小冊子をプレゼントすることにしました。そして、ときどき皆さんに「聖霊とともに」の本のテーマを一緒に考える手紙を書こうと思います。本は手にしても、興味がわかなければ、多くの場合読まないでどこか片隅に置き忘れて、最悪の場合、捨ててしまう人もいるかもしれません。

 でも、皆さんは、神の霊が注がれています。洗礼によって神との壁(原罪)が取り壊され、神の子としての生命が流れています。神の霊(聖霊)は目に見ない実在です。それが目に見えるように、聞こえるように、触れるようになるためには、どのように聖霊が働いておられるか理解する必要があるのです。この小冊子ですべてが書かれているわけではありませんが、話題の柱になると思いました。みなさんに同じ材料を提供し、考え、祈り、これからの人生を聖霊と共に歩んでほしいのです。

今日は、この希望を書いて終わります。
これまでの資料を一覧して整理する必要も感じています。何事も一度ですべてがうまくいくものではありません。アスリートが試合のために長い期間練習します。信者も聖霊の導きをうけるためには日々の祈りが大切です。

聖霊 来てください。
信じる者の心を愛の火で燃やしてください。


2009年7月29日 
池田・日生中央共同宣教司牧チーム

 畠 基幸
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 結婚講座 まずまずの滑り出し!

第二期結婚講座が6月3日から毎週水曜日午後7時から8時半まで開かれています。今回は4組の結婚講座の受講生があり、前回一組から比べれば格段の盛況です。やはり希望にあふれた若いカップルたちの熱気に中てられます。

 内容は
 第一回 キリスト教の結婚観 (聖書と教会法から)
 第二回 自分自身と相手自身
 第三回 夫婦のコミュニケーション
 第四回 夫婦の使命

 わずか四回ですべてをマスターできるわけではありませんが、しあわせな結婚生活の土台とヒントを示唆できればと、講師役の夫婦は結婚30年を超えるベテランで、3組の夫婦が毎回体験談を交えて導きます。

次回は 10月に開校の予定です。
問い合わせは、池田教会 畠 神父まで
電話 072-751-2400 
FAX  072-753-4624

 信仰入門講座 (毎週木曜日 午後12時半)

聖書百週間の学びのあと、 時間がある方にお薦めです。
 聖書百週間  10時   ~   12時 担当 デニス神父
 信仰入門講座 12時15分~   1時半 担当 畠  神父

 この他 水曜日に幼稚園の保護者対象にアルファコースを始めます。
 お問い合わせは、聖マリア幼稚園へ・・・
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 「聖書と典礼」 分かち合い

 「聖書と典礼」分かち合い (日生中央 夜 8時~9時半)
 メンバー 6名

 2月24日 火曜日 

 四旬節 第一主日

 集会祈願
 朗読箇所
  第一朗読
  第二朗読
  福音
  共同祈願
  拝領唱
  拝領祈願

 分かち合いのおもな話題
 ・ 四旬節の断食(灰の水曜日、聖金曜日)
 ・ 40日
 ・ 虹の契約のしるし
 ・ わたしの虹
 ・ 悔い改め
 ・ 洗礼志願者とともに歩む


 

 聖書を楽しく読む会

 聖書を楽しく読む会

 場 所 宝塚黙想の家図書室
 日 時 2月21日 (土)
     19時~20時半
      参加者 6名

 1. 分かち合い箇所 「マルコの福音 2章1節~12節」

 方法: 聖書深読法により分かち合い

 全体の流れ: カファルナウムでの一日の終り。

 「家」は教会のようにすべての人を迎える。文脈からは、シモンの姑の家であろう。そこに大勢の人が集まる。そこに四人の男が中風の人が運ばれてくる。「イエスのおられる辺りの屋根をはがして穴をあけ、病人の寝ている床をつり下ろした」(新共同訳)なにか情景が目に浮かぶようである。参加者はここの情景をあれこれ感想を述べた。
「子よ、あなたの罪は赦される」・・・「あなたの罪は赦される」と言うのと「起きて、床を担いで歩け」と言うのとどちらが優しいか?
・・・この点も分かち合いの大きな関心であった。

 この箇所は、珍しい言い方もあります。 「子ょ」と病人に呼びかけている点です。イエスがこう呼びかけられるのは、マルコではここ一か所だけです。今回の収穫は、この表現が、イエスをとおしてあらわされる父のこころが見えているのではないかと話し合った点です。この表現はイエスの権威と結びつけて考え合わせれば、「人の子が地上で罪をゆるす権威を持っている」とイエスの宣教活動の目的がはっきり表明されていること、神の国の福音の中心には、この神の親心が含蓄的にあらわされていることに気づかされました。参加者からおおきな感動の賞賛の声がありました。この気づきは、ルカの福音書の放蕩息子のたとえで出てくるお父さんの姿で、そしてお兄さんをなだめる呼びかけのことばも、「子よ」であることにも思い出しました。神の愛は、ゆるす心、御父のこころそのものだということでしょう。

 四人の男は この福音を述べ伝える人たちで、最初の弟子が4名であることから、古代の教父たちは四福音と重ねて解釈することが多かった。わたしたちの役割は人々をイエスの前につり下ろすことができればよく、なんとそれだけで使命を果たすことができるのです。


 
 ペトロの家ペトロの家の上に建てられた教会堂
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