マラナタ 主よ 来てください!


畠神父


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 聖書を楽しく読む会

 聖書を楽しく読む会

 場 所 宝塚黙想の家図書室
 日 時 2月21日 (土)
     19時~20時半
      参加者 6名

 1. 分かち合い箇所 「マルコの福音 2章1節~12節」

 方法: 聖書深読法により分かち合い

 全体の流れ: カファルナウムでの一日の終り。

 「家」は教会のようにすべての人を迎える。文脈からは、シモンの姑の家であろう。そこに大勢の人が集まる。そこに四人の男が中風の人が運ばれてくる。「イエスのおられる辺りの屋根をはがして穴をあけ、病人の寝ている床をつり下ろした」(新共同訳)なにか情景が目に浮かぶようである。参加者はここの情景をあれこれ感想を述べた。
「子よ、あなたの罪は赦される」・・・「あなたの罪は赦される」と言うのと「起きて、床を担いで歩け」と言うのとどちらが優しいか?
・・・この点も分かち合いの大きな関心であった。

 この箇所は、珍しい言い方もあります。 「子ょ」と病人に呼びかけている点です。イエスがこう呼びかけられるのは、マルコではここ一か所だけです。今回の収穫は、この表現が、イエスをとおしてあらわされる父のこころが見えているのではないかと話し合った点です。この表現はイエスの権威と結びつけて考え合わせれば、「人の子が地上で罪をゆるす権威を持っている」とイエスの宣教活動の目的がはっきり表明されていること、神の国の福音の中心には、この神の親心が含蓄的にあらわされていることに気づかされました。参加者からおおきな感動の賞賛の声がありました。この気づきは、ルカの福音書の放蕩息子のたとえで出てくるお父さんの姿で、そしてお兄さんをなだめる呼びかけのことばも、「子よ」であることにも思い出しました。神の愛は、ゆるす心、御父のこころそのものだということでしょう。

 四人の男は この福音を述べ伝える人たちで、最初の弟子が4名であることから、古代の教父たちは四福音と重ねて解釈することが多かった。わたしたちの役割は人々をイエスの前につり下ろすことができればよく、なんとそれだけで使命を果たすことができるのです。


 
 ペトロの家ペトロの家の上に建てられた教会堂

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