マラナタ 主よ 来てください!


畠神父


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 灰の水曜日前の火曜日 ②読書課

第二朗読 ②
聖ビンセンシオ・マリア・ストランビ司教著
「イエズスにおける私たちの宝」より
(Vol. III, pp. 184-186; 192-193; 199-201)
イエズスはどのように祈るべきかを私たちに教えて下さる
 イエズスは頻繁にオリーブ山に赴き、そこで祈りながら幾夜も明かされた。イエズスの祈りは香や没薬の香りのように天の父の玉座へと昇った。
 キリストご自身の模範を前に、私たちは神と話す時間を見つけられないことを恥じるべきである。惜しみなく祈りを捧げないかぎり私たちは誠実な弟子、良いキリスト者にはなることはできません。主ご自身がこのことを私たちに教えて下さいました。主は「わたしが向こうへ行って祈っている間、ここにいなさい。誘惑に陥らぬよう、目を覚まして祈っていなさい。」と弟子たちに言われ、ゲッセマニの園でその教えを繰り返されました。
 主がどのように祈られるかに注意しなさい。主は極めて謙遜に、天の父の威厳の前で敬意を表されました。礼儀正しくというだけではありません。すなわち「彼はひざまずき祈った。顔を灰に埋めたまま」、また、「彼は地に伏して祈った」のです。キリスト者はどのように天の父に近づけばよいのか柔和なイエズスから学ぶのです。極めて謙遜に、自分の欠点については厳しく、己の罪に対する痛悔を持ち、そして神の偉大さの前に聖なる畏れを持って。このようにして憐みを受け、主をなだめ、主の心をつかむのです。
イエズスは夜の暗闇と孤独の中で父に向かいこのように言われました。〝父よ、できることなら、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。父よ、あなたは何でもおできになります。お望みであれば、この杯を私から取りのけてください〟と。「父よ、わたしが願うことではなく、あなたの御心に適うことが行われますように。あなたの御心にわたしは心から従います。」と。
なんと完全な祈りでしょう!キリストは人として当然感じる反抗心を父に言い表しました。しかし、キリストはより一層苦しむことになるかもしれないのにもかかわらず、進んで苦しみました。人間としての自然の反抗心を表しながらも、心の平和と内的な沈静を保ちました。キリストは何よりも神の聖なる崇敬すべき御意思を果たしたいと願い、その望みを何度も表されました。
〝更に、二度目に向こうへ行って祈られた。「父よ、わたしが飲まないかぎりこの杯が過ぎ去らないのでしたら、あなたの御心が行われますように」〟、そして〝また向こうへ行って、三度目も〃言葉で祈られた〟。キリストは霊の深みにおいて決然寛大で、神意に完全に一致した愛を示されました。
 天の父の息子と娘たちよ、また、あなた方のために多大な苦しみを受けてくださったイエズスの息子と娘たちよ、イエズスの祈り方を学びなさい。謙遜に神に向かってあなたの抱える問題について申し上げなさい。しかし、そのことで心を乱してはいけません。あなたを優しく誠実に愛して下さる神にあなた自身を委ねれば、あなたに良いことを成してくださるでしょう。神はあなたの善のために必要なすべてのことを知っておられ、それを成し遂げる無限の力を持っておられます。ですから、神の近くにとどまり、神の内に休みなさい。神から離れては決して平和はありません。

答唱
先 「あなたは、いけにえや献げ物を望まず、
   むしろ、わたしのために 体を備えてくださいました。」
答 キリストは言われた。
「私は来ました。神よ、御心を行うために。」
先 「あなたは、焼き尽くす献げ物や
    罪を贖うためのいけにえを好まれませんでした。」
答 キリストは言われた。
「私は来ました。神よ、御心を行うために。」

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