マラナタ 主よ 来てください!


畠神父


 聖書深読法による 聖書研究会 紹介 

聖書の分かち合いとして聖書深読法を使って行っている聖書(福音)の研究会は以下のとおりです。いずれも畠神父が主催しております。
参加希望者はご連絡ください。 なお開催の日程は出張などで変わることがあります。

 毎月 一回 

 第一日曜日 午後 2時から4時半まで
 翌週の福音箇所を聖書深読(注)にて分かち合います。
 場所 池田教会 カール記念館 二階 
 世話人 中岡 美千代


 毎月 一回
 第四金曜日 夜 7時から8時半まで
「聖書を楽しく読む会」 聖書深読法により翌週の福音箇所
 場所 宝塚黙想の家
 世話人 乾 真理子
 
 毎週 火曜日 夜 8時から9時半まで
 翌週の「聖書と典礼」の分かち合い
 場所 日生中央教会
 世話人 小倉 摂子

聖書深読法とは:
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 合同バザー

池田教会、日生中央教会の両教会の合同バザーとまりあ幼稚園のマリアまつり(バザー)が10月19日の日曜日、行われ、とても美しい青空の広がる日だったので、大勢でにぎわいました。
教会入口(日生中央教会の出店)
バザー1

 マリア幼稚園(運動場入口)
バザー2

カール記念館の入り口から奥を見る
バザー3
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 奈良聖書講座

10月10日(金)、10月11日(土)奈良教会で聖書講座の講師を務めました。土曜日には、わたしの父もケアハウスから応援に駆けつけてくれました。話の内容はよく聞こえないので分からなかったとのこと・・・
パウロの年の企画で、パウロの書簡が4月から10月までの全10回行われ、わたしはその9回目で、「フィリピの信徒への手紙」と「コロサイの信徒への手紙」を担当しました。
奈良

 第三回講座 教会論 (2)

 教会論 Ⅱ  松本一宏 神父
 10月18日     宝塚黙想の家 
  3回

要旨:
最初に現教皇が神学教授時代に書いた記事の紹介から始める。

「なぜ私は教会にとどまるのか」(ヨゼフ。ラッツインガー、現教皇
神学ダイジェスト25号、1970年)の記事を引用して、教授が教会を月にたとえるシンボルの意味を紹介して説明する。

 《月と太陽の関係、教会が自己の光をキリストから受けることの象徴とされる。・・・教会はそれ自身では、「暗闇」にすぎないが、それにもかかわらず、世界を照らしうる。教会は自らの徳や業績によって明るいのではなく、真の太陽であるキリストからその光を受けるのである。教会は光を受け、さらにこの信仰の闇にあって、わたしたちの歩みに光を投げかけてくれる。
・・・・月は、いわば、「自己自身でないもの」なのである。ところが、「自己のものでない」とはいえ、まさにその「自己のものでない」という性格そのものが、「自己のもの」なのである。・・・それゆえに、これを教会にあてはめると、教会は、石と砂にすぎないが、それにも関わらず、キリストから光を受けて、世界のための光となることである。ここで「自己のものでないもの」こそ、真に教会の「自己のもの」なのである。教会の本質は、実に「自己のものでない」こと、その存在の根拠を自己自身にもたず他にもつこと、したがって自己を空にし、その根拠から光を仰ぐ時こそ本来の姿に帰ることである。》
 
 教会はそれ自身で存在することはない、光であるキリストに照らされて存在する存在である。「わたしたちの教会」の背後に「キリストの教会」の存在がつねにあることを信じる立場から、ラッチンガガーが教会にとどまる述べている。
 各時代の教会を照らす評価は、「キリストの教会」と考えて、教会の本質(キリストの教会)とその後の教会の歴史的発展、さらに第二バチカン公会議での教会の自己理解を考える助けとなれば・・・

以下は、教会の歴史を概観します。 「カトリックの教え」の教会の項目を閲覧していただければと願います。

1.教会の起源
神の救いの約束を成就したキリストにおける新しい神の民であるという理解。教会は神の民としてキリストの光をあらゆる人々にもたらす使命を持っている。教会はキリストによって創設された。聖霊降臨の出来事をとおして、使徒たちと土台とするキリストの教会が生まれ、聖霊によって保たれ発展してきた。
2.ユダヤ人教会と異邦人教会
出発点、エルサレム教会-ユダヤ教の伝統と独自の教え・祭儀・祈り
より広い世界へと広がっていく、アンチオキアの教会など、ユダヤ教の枠を超えて、独自の宗教として育っていく
3.初期教会の構造
信仰の遺産・信仰の秘義・信仰の奉仕職
カリスマの奉仕職から制度的奉仕職への歴史的発展
二つの指導体制(長老制度、監督と執事型)の融合→監督・長老・執事(司教・司祭・助祭)

第二節 教会の本質
教会の本質は制度そのものではない
1.神の民
教会(エクレジア)―神から選ばれ特別の目的のために召された民
旧約の神の民と新約においてキリストに従う人々
『教会憲章』1~2章 神の国が広がるよう、信徒は皆神の祭司職と預言職を受けている。教会はまず第一に信仰者の集い、神の国の実現という使命がある。
2.キリストのからだ
キリストと教会の一体性:復活したキリストが生き、働いておられる
洗礼によってキリストの体に組み入れられ、ミサにおいてキリストのからだとしての教会はもっとも完全な形で実現する。
3.聖霊の神殿
  聖霊が教会の本質的存立根拠
  聖霊の導きにたいする大きな信頼

第三節 教会の歩み
1.教会の歴史性
教会の本質を実現させるために、それぞれの時代で成長発展し、福音を伝えてきた
一、聖、公、使徒継承である教会:それを体現していく努力
2.古代の教会
  初期教会の構造  カリスマの奉仕職 1コリント12:28-31
                     ロマ 12:6-8
  一人一人に与えられたカリスマに生かされて信仰の奉仕
  制度的役務職 
  ユダヤ教の長老による団体指導体制とヘレニズム型の監督と執事の制度が融合して、監督を長老団、執事団がサポートした。 司教・司祭・助祭へと発展 司教は指導者としての立場を築く。教会全体のために 正しい教えを確認する役目。313年 コンスタンティヌスによってキリスト教が公認されるまで迫害の時代、告白者、殉教者がたくさん出た。異端とも戦った。公認後国家・社会がキリスト教化

3.中世の教会
   より広範なキリスト教社会
   教皇は大きな力を持つ。 国家と教会の関係 秘跡を受ける場   教会がこの世の制度と交わるにつれて、福音精神から離れる。
   一方福音精神を生きるフランシスコ会、ドミニコ会が現れた。
   信仰を理性的に理解するスコラ学派が発展した。
4.近代の教会
   教会改革の荒波 -分裂へ 福音にとって大切なものは何か
   キリスト。恩恵・聖書ではないか???
   カトリック教会は制度を強調した。
   脱宗教化の時代
5.現代の教会
  第二バチカン公会議のインパクト
世界の救いの秘跡としての教会・世界の諸現実に向かって開かれた教会、教えの伝達と神の愛のあかしとしての福音宣教、未来に向かう教会
6.宣教する教会
神の国に向かって旅をする神の民ー教会=イエス・キリストを述べ伝える。教会の宣教の使命は一部の聖職者・修道者に課せられているのではなく、全信徒のものであるという意識変革が必要

 再びラッチンガー司教(現教皇)の論文に戻って・・・

「なぜカトリックにとどまるのか」ラッツインガーの理由は、H・ド・リュバクのことばを引用して、キリスト信仰は教会によって可能になるという基本的な考え方を披瀝しています。(注:続き)

「教会は自分にとって母である。というのは、教会が自分にキリストを与えたからである」・・・ 同時に 母であるということで、あばたもえくぼ・・・ド・リュバックは、教会のために、教会の中で、実に多くの苦しみを嘗めてきたにもかかわらず、「教会は私の母である。それはこの教会であって、他のいかなる教会でもない。わたしはこの教会を、自分の生みの母の胎内から知り、また自らの人生にくりかえされるあらゆる出来事と、あらゆる状況にあって、いつも、より深く知るようになった。・・・<中略> さげすまれた母の顔をみて、わたしはこの母をいっそう深く愛さざるをえない。わたしはこれらの批判に対して、躍起になって弁論する前に、このはしための姿をとった母を愛するのである。ある表情で、その顔がますます老けて見えたとしても、愛は私に、それ以上の真理と黙示、隠れた働きを発見させる。そこには、永遠の若さが保たれている。偉大なものがそのうちに生まれ、それが世を回心させるのである」(リュバック)

 現教皇のコメントは素晴らしいと思います。「この原理を教会にもあてはめていく・・・私たちは今日、教会をもう一度愛の目で見直さなければならないだろう。」
 「愛は盲目と言われる。確かに一理ある。しかし、それ以上に真実なのは、愛が目を与えるということである。老人のしわだらけの顔は、外見的には美しくないが、愛は、その内面に、この顔を形作った人間というもの、その素晴らしいものを発見するのである。」

休憩の後: 畠神父が後半の司会を担当する。
 解説本の紹介:
「神の国をめざして」(松本三郎著、オリエンス宗教研究所)の本が、南地区では教科書的な扱いで読まれていること、内容は、公会議文書の明快な解説です。信徒の立場と視点も重視しています。1990年初版ですが絶版かもしれません。(注へ)

「みんなで担う『信徒奉仕職』」7ページ、「いまさらながら教会ってなに???」を朗読し、以下の説明後グループに別れた。

「第二バチカン公会議における教会憲章は、教会自身の根本的な意味について問い直そうとしました。教会とは一体何なのか?何のために誰のために教会はあるのか?教会は世界の中で何をしようとしているのか?教会が自己自身の回心を求めて打ち出した理想像であり目標です。(前掲書、松本三郎 p17-)教会の歴史的展開を最初の時間で松本神父から解説されました。皆さん自身は現在の教会のイメージや、教会とは何かのご自身の理解をどう説明されますか?

注 及び追加記入:
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 創立者十字架の聖パウロ 御受難会固有 (祭日)

十月十九日 
十字架の聖パウロ証聖者
イエズス・キリストの御受難の男女修道会創立者 祭日
略歴:
 パウロ・ダネオは一六九四年、イタリア・ピエモンテのオヴァーダに生まれた。若い頃は父の商売を手伝った。十字架のイエスの模範に従うようにという神からの呼びかけを受け、一七二〇年修道士となり、苦行と使徒職に自らを完全に奉献した。修道会創立のインスピレーションを受け会則を書き、認可のためローマに赴いたが、全く相手にされなかった。キリナーレ宮殿での失意ののち、サンタ・マリア・マジョーレ大聖堂のボルゲーゼの礼拝堂の聖母子像で祈ると、イエスの受難を知り、愛する誓願を立てるインスピレーションを受けた。後に、これが三つの福音的誓願に加えて御受難会員が立てる第四誓願となる。帰路、モンテアルジェンタリオで最初の修道院をたてるビジョンを受けた。それらのビジョンがどうなるか分からない中で、司教の判断にゆだねながら、道を模索し、病者の世話に従事するために病院付きの修道士となるが、弟のジョヴァンニ・バプテスタと共に司祭に叙階することを勧められ、教皇ベネディクト十三世により叙階された。その後モンテアルジェンタリオの隠遁所に弟と共に引きこもり、御受難修道会創立のインスピレーションが実現するように多くの苦難を耐え忍んだ。御受難修道会の第一の目的は、主の受難と死を黙想し宣べ伝えることである。彼はまた、同じ目的の観想修道会として、女子御受難修道会を創立した。疲れを知らない十字架の説教師であり、修道会の傑出した長上、償いと観想の卓越した模範、優れた霊的指導者として十字架の聖パウロは、十八世紀の偉大な神秘家と考えられている。ローマにて、一七七五年十月十八日死去。

次に掲げる賛歌は、御受難会固有の「教会の祈りの前晩の賛歌」に記載されている聖人を称える歌です。
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 十字架の聖パウロ (御受難会創立者)

 十字架の聖パウロの祝日は、10月19日で今年は日曜日であるため主日のミサが優先されます。御受難会固有の典礼であるので小教区ではお祝いしていませんでした。しかし、今年は、日生中央教会と池田教会との合同バザーで、マリア幼稚園も「マリアまつり」を行います。
 この良き日、両教会の司牧担当司祭かつ幼稚園副園長の松本一宏神父の霊名の祝日にあたり、御受難修道会の使命を生き司牧者としての成長を願って十字架の聖パウロのとりなしをお願いいたしましょう。

 十字架の聖パウロの伝記は、御受難会で出版したものは、ウォード・ビドル神父が書き下ろした「十字架の使徒ー霊的日記付き」と、女子修道会が出版したベネット・ケリー神父の「聴こう、主の愛を」とポール・フランシス・スペンサー神父の「十字架の聖パウロの生涯」があります。
Paulfounder

 生誕300年を記念して出版されたスペンサー神父による十字架の聖パウロの伝記は、聖パウロにゆかりのある故郷や場所や人物の写真と共に、聖人の創立者としてのカリスマの足跡を伝えてくれます。スペンサー神父の序文によれば、十字架の聖パウロの生涯を語るにあたって、「御受難会の創立者として使命に光をあてて書いたとあります」と述べています。時代背景ともに修道会を創立するインスピレーションが次第に形になるプロセスの中に、「私たちが祈るとき、すべては可能となる」という創立者の信念の葛藤の歴史が刻まれていることをスペンサー神父は上手に描いてくれたと思います。どうしてこうもうまい具合に司教や教皇と知己になり、友情を交わすようになれたのか?そこに心に刻まれたしるしが目に見える歴史に姿をあらわすカリスマの力と真実があると思います。ビジョンは幻想ではなく信仰の実りだったと・・・
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 ミューレン神父の聖霊セミナー

 日本の神学校で、基本書となっている「改訂父と子と聖霊(三位一体論)」(P・ネメシェギ著、南窓社)の中で数ある学者たちのなかで(第二部第6章)、ドイツの神学者H・ミューレンは、斬新な説明として紹介されています。人間間の愛の現象学的分析をとおして類比的な意味で、「我々」と「汝」と「われわれ」の考察を三位一体にあてはめたのです。人間間の愛に基づいての説明は、神の生命の神秘を不完全にしか表していないとネメシェギ神父は説明すると同時に、キリスト教の多くの教えが、初めて深く理解された功績を評価されていることに私は志を強くしています。このような本格派の神学者が書き下ろした聖霊セミナーのテキストをなんとか皆様にお伝えしたいと考えています。
 このテキストを読んでみことばの黙想と祈りの習慣がつけば、「聖霊による刷新」が異常な現象を追い求める体験主義ではないことがわかるでしょう。多くの信徒にとって約束された聖霊による新しいいのちの体験は自分の信仰を深める契機となるものです。「みことばが人となった」方のいのちに触れることほど実存を活かすものはないでしょう。

 考えているのは ネット上の公開講座、どういう風にできるのかこれから模索中です。一度、テキストをご覧ください。ネットに順次アップロードしていきます。


 
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 第二回 講座 教会論 (1)

後藤 進 神父  教会論 (1)

 神父様の「神の愛を運ばせていただいた個人的体験」の分かち合いから教会の奉仕者(聖体奉仕者)の使命と心構えを交えながら、神の民の契約(旧約・新約)と第二バチカン公会議の教会憲章の信徒の項目を指摘された。

I 個人的体験
Ⅱ 神の民
 旧約   出エジプト シナイ契約  会見の幕屋 出19章
 新約   わたしたちとともにいる神(イムマニエル)
      ヨハネ1:18、Mt28:20、 ヨハネ15:1-10
 
Ⅲ 秘義
  原秘跡 - キリスト = 教会
  召命  司教・司祭・助祭

Ⅳ 神の民 信徒  教会憲章 (Lumen Gentiam)
第4章 信徒について
  No. 31, 33
34-36 信徒の祭司職、預言職、王職

 第一回講座 典礼

井上博嗣神父 茨木教会

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1  典礼とは教会がキリストと一致して父である神にささげる公的礼拝である。
2 父である神のみ旨とみ業
3 神の国
4 神の民の形成
5 救いのみ業の実現に向かって
6 典礼挙行の様式
7 契約のしるし
   A 旧約時代
   B 新約時代
8 地上の典礼
9 主日  

 信徒奉仕職養成コース

(画像をクリックしてください。講座の説明です。)
養成コーススケジュール
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教区基本養成部門での集会祭儀司式者養成の位置づけ 
養成位置養成分野
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