マラナタ 主よ 来てください!


畠神父


 あかしの便り No. 1

鹿児島の西之園喜美子さんからの便りを受け取りました。

「第5回100日共同祈願連続ミサに参加して頂いた恵みを感謝して。

 今年に入ってから心身の力、経済力を破壊しかねない災難が発生し、生まれて初めて味わうタイプの苦悩に襲われました。腰を据えて祈る決意をし、夜、夫の介護から解放される12時頃から、以前行っていた福音書の筆ペンによる清書・黙想・祈りを復活させました。夫の休む部屋が変わり、祈りの場は台所のテーブルです。そこで、主が私の道を開き確かな言葉を下さると実感できました。ところが崩した姿勢で腕に力を入れて清書をつづけた(しかも寒かったのです)ためか何日か経つと左肢全体に神経痛の様な痛みが起こり日に日に強くなりました。床に入ると左の足首がピストルを撃ち込まれ、骨が粉々になったかの様な激痛です。十年来指導を受けている中医師(中国医師免許を持っている人)の治療も効きませんでした。しかし、100日ミサのお便りを読んだ夜でした。神の無限の御慈しみに目を向けよと、今の時代にシスター・ファスチナを通して呼びかけられたというくだりを読み、心をゆさぶられました。今まで、神のおろかともいえる御慈しみの御霊に私の全霊全身を掲げて飛び込んだことはなかったと気がつきました。聖霊刷新に関心を集め歩んできたつもりの自分は何だったのかと気づきました。神の御慈しみのおろかなほどの御霊に身を投じ神の御慈しみの御霊を盾として生きていくことが私の聖霊刷新への参加なのだと考えました。このことで深く潜心し祈りました。3~40分位、そして何とも言えぬ喜びで床につきました。約1時間後、一もの通り薬の切れた主人に起こされました。その時でした。あれほどの激痛がけろりと消えていました。それ以来疼痛のない日々を送る恵みをいただきました。神に感謝です。」

 あかしの事例があれば掲載していくつもりです。世間のいわゆるご利益信仰とは一線を引くものと思います。主のために、奉仕するために、他者のために自らの命をささげるために、主はわたしたちの信仰を癒し、ご自身の命をもって強めてくださるのです。「わたしが来たのは羊が命を受けるため、しかも豊かに受けるためである」(ヨハネ10:10b)神の国の支配、主イエス・キリストがまことの救い主・復活され、今生きておられる方・「主」であることをわたしたちのあかしを通して実現しおられるのです。

 祈り推進チーム 黙想研修会

共同識別の研究を行った。1月10日~12日 二泊三日(売布)
次回は、7月の「海の日」です。
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