マラナタ 主よ 来てください!


畠神父


 第24回 百日連続ミサ連帯共同祈願

第24回 百日連続ミサ連帯共同祈願への招き 
 「母は、これらの出来事をすべて心に納めて、思い巡らしていた(ルカ2・19)」

兄弟姉妹の皆さま、主の降誕と新年のお喜びを申し上げます。

年末、台風並みの低気圧が列島を襲いました。まことに最後まで気の抜けない一年となりました。さて、年の暮 いつものように 12月23日、第23回目の百日連続ミサ共同祈願を無事に終えました。9月15日から12月23日までのこの期間、たくさんの心痛めるニュースで満ち溢れました。世界中で救いを求める緊急の執り成しの祈りが必要な事件が舞い落ちてきました。あまりにも多くの出来事で心を乱してしまう毎日だったかもしれません。それと同時に、教皇様の行動やことばがメディアやネット上で取り上げられ、毎日のようにそれに触れていると、とても勇気づけられ励まされました。聖霊に満たされ、聖霊の導くところへと身を委ねておられる姿に感動します。近くでは、和平と和解のためにキューバと米国の国交正常化のために働かれ、また、12月2日国連の「奴隷制度廃止国際デー」には、教皇は諸宗教の指導者らと共に(イスラム、ユダヤ教、東方正教会、聖公会、仏教、ヒンズー教を代表した11人)教皇庁科学アカデミー本部で共同宣言に署名されました。現代世界の奴隷制度を2020年までに終わらせるために協働することを誓う共同宣言です。このニュースは、カトリック新聞12月14日号の一面に掲載されていますが、ネット上のYOUTUBEで、教皇庁正義と平和評議会会長ピーター・タークソン枢機卿が会見で、この現代のあらゆる形態の奴隷制へ反対メッセージを1月1日の平和の日のメッセージの中にも取り上げることを発表しました。

ピーター・タークソン枢機卿には、ウガンダでの聖霊刷新全アフリカ大会でお会いして、その人柄の素晴らしさに魅了されましたので、このニュースに注視していたのですが、わたしが属している修道会の総長ヨアキム・レゴ神父のクリスマスメッセージでも、このニュースが取り上げられ、その背景も教えていただきました。共同宣言の背景には、「グローバル・フリーダム・ネットワーク」 という団体の活動があり、その下地になったのは、オーストラリアの少女グレース・フォーレストさんの心痛める体験から始まりました。15歳のとき学校の体験学習でネパールに奉仕活動に出かけたところ、孤児院に派遣されたのです。孤児院では幼い少女たちが性的虐待を受けた境遇から保護されて、生活していました。そこで出会った少女たちの精神的にも、肉体的にも傷ついた姿を見た彼女はショックを受けました。悲惨な状況を見て心を悩ませ、彼女たちのために何かをしなければならないと決意し、2年後にお父さんと共にネパールに行ったところ、そこにあったはずの孤児院もそのような少女たちがいたという記録もすべてが消されていたことに再びショックをうけました。17歳だった少女は、そのとき消された少女たちの生の現実の厳しさを知ったのです。それから彼女の精力的な活動が始まりました。その時から声なき少女たちの声となり、あらゆる形の奴隷制を廃止するキャンペーンを世界中に呼びかける運動をお父さんと共に始めたのです。これが「ウォーク・フリー・ファンデーション(Walk Free Foundation)」で、聖公会やオーストラリアの大学で広がり、今年の3月にバチカン(教皇庁)と調印して共に立ち上げた「グローバル・フリーダム・ネットワーク」の基盤になりました。
12月10日にノーベル平和賞を受けた17歳の少女マララ・ユスフザイさん、また17歳で奴隷制を廃止する運動を始め、12月2日国連の「奴隷制廃止国際デー」にまで導いたグレース・フォーレストさん、二人は現代世界の闇の部分に目をとめ、それを傍観することなく、行動に移しました。いびつな政治・経済・宗教上の軋轢と狭間の中で人間の尊厳を奪われた人々、特に子どもや女性の声なき声の代弁者として勇気ある発言と行動が注目を集めました。ですが、私たちは、ここで感動する話で終わったら、神の始めておられる恵みは私たちと無関係になってしまいます。ここに、わたしたちの執り成しの祈りの役割があると思います。二人には、他者への共感から始まる行動が見られます。そして、それは福音の神髄を貫く愛なのです。

福音の神髄は、教えとして、山上の説教、そして、その初めに真福八端があります(マタ5章~7章)。二人の行為は、真福八端の第二項、「悲しむ人々は幸いである。その人は慰められる。(マタ 5章4節)」が真実であることをあかししてくれます。ベネディクト16世名誉教皇の「ナザレのイエス」の真福八端の説明には、このように書かれています。「『悲しむ人は幸いである。その人は慰めを得るであろう』という言葉は、イエスの十字架のもとにおいてもっともよく理解することができます。他者の痛み、苦しみに対して心を閉ざさない人、悪に対して譲歩することなく、その暴力のもとにあって苦しみを耐える人、そしてこのようにして真理の正しさを認め、神の正しさを認める人は、閉ざされた世界に窓をあけ、闇に包まれた世界に光をもたらすのです。苦しむ人には大きな慰めが約束されています。その限りにおいて、真福八端の第二項は第八項と密接につながっているのです。『義のために迫害を耐え忍ぶ人は幸いである。天の国はその人のものだからである』。主がここで語っている悲しみとは、悪に対して迎合しないことです。それは、皆が行っていること、行動の規範として個人に押し付けられることに対して一種の異議申し立てをすることです。この種の異議申し立てを世間は我慢できないのです。世間は一緒に行動することを要求します。この種の悲しみは世間にとっては、麻痺した良心に対する告発と受け取られるので、-そしてそれは事実でもあるのですが-悲しむ者は義のために迫害を受ける者となるのです。悲しむ者には慰めが、迫害を受けるものには神の国が約束されます。それは霊によって貧しい者に約束された約束と同じものです。二つの約束は互いに近いところにあります。神の国、それは、神の力の保護のもとにあること、神の愛のうちに庇護されてあることであり、それこそが真の慰めなのです。」(「ナザレのイエス」第一巻p125引用)
「これらのことがみな起こるまでは決して滅びない。天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない(マル13章31節)」とあります。二人の言動は、闇は光に勝てないという言葉を思い出させてくれます。マララさんのノーベル平和賞での講演では、「今日、わたしは自分ではなく、その6600万人の声を上げているのです」と教育を奪われている女の子たちに言及し、そして「いまだに数百万もの人々が戦争や貧困、不正といった極めて古い問題に苦しむ国々」に住む子供たちのことを心に留めて欲しいと訴えました。悲しむということの積極的な面が、ここでは私たちの心を動かし、そしてそれは十字架のイエスにおいて啓示されたように神の御心であるということです。福音は、喜びのメッセージですが、暗い闇の中に投げかけられる光のように見えないものが見えるようになる出来事です。その喜びを知った時、悲しみもまた受けます。「すでに」と「まだ」の終末の時にわたしたちは置かれているからです。そうです。わたしたちは希望の内に召された執り成し人です。苦しむ人、悲しむ人に寄り添いながら、神の国の約束を信じ願い事の成就を祈り続けます。フランシスコ教皇様の「福音の喜び」の中にも、「執り成しの祈りのもつ宣教する力」(p237~239)で、聖パウロの執り成しの祈りを解説しておられます。フィリピの手紙の、「あなたがた一同のために祈るたびに、いつも喜びをもって祈っています。・・・あなたがた一同のことを、・・・心に留めているからです」(フィリ1・4、7)を引用して、「ここから執り成しを祈ることは真の観想からわたしたちを引き離すものではない、ということが理解されます。他者を心に留めることのない観想、それはごまかしだからです。」と言っておられるからです。つまり、執り成しの祈りは、観想的な次元と表裏一体のものなのです。

第23回の参加者数は、420人でした。人数が減るのは、それぞれのグループで執り成しの祈りが始まり、各グループでたくさんの祈りをしなくてはならなくなったことが大きいと思います。百日をきっちり祈りたいのに、わたしの怠慢から案内が届くのが遅れたことも大きいでしょう。
第24回目は、1月3日を2015年の最初の百日共同祈願として行います。最終日は、したがって、「神のいつくしみの主日」の日曜日、4月12日になります。今回も分かち合いの献金をしています。寄付献金のほぼ半額は、貧しい人々、小さな人々、必要に事欠く人びとへの支援に振り分けており、今回は、第22回と23回を合計した金額、747597円(6340ドル)を、フィリピンの被災地タクロバンで復興計画(バート・パスター神父)に送金いたしました。また第21回の残金を東北支援、特に塩釜小教区に30万8千600円の献金をお送りいたしました。小教区ではバザーやコンサート、街頭募金をしてもこれほどの金額は集まりません。献金を目的にしてキャンペーンしたのではありませんが、ミサの精神そのものから貧しい人々への分かち合いが正しく行われたためです。5千人のパンの増加の奇跡のように皆さまのご協力を感謝いたします。1日10円以上の献金をされた方(250名前後)が多かったことが大きなプラスになりました。参加人数が減っても献金される方は一定で、集まる寄付金も同額です。したがって、これからも続けて私たちの寄り添う心の祈りをしるしとして届けます。その他の使い道は、印刷、発送代が主なもので、あとは、司祭黙想会の講師交通費、宿泊代や刷新関連の図書出版支援費、そしてICCRSの下部組織ISAOの(私の)会議出席交通費などに補填しています。関西委員会では、毎年行われる大会運営のための経費は参加費用から賄っております。初めの10数回、無償で共同祈願を行い、通信費印刷代の支援を関西委員会から受けましたが、現在は大会会場費やホテル宿泊代が高騰し、宿泊費・参加費からの余剰金はありません。「百日連続ミサ共同祈願」を自立継続するためには一日10円の堂内献金方式の現在のやり方がベストと考えています。このような事情ですので、今後とも祈りの輪にご参加ご協力下さるようにお願い申し上げます。
 
来年度の計画は、以下のように盛りだくさんです。無事の開催と成功をお祈りください。
・第三回国際司祭黙想会 (ローマ6月10日~14日)3000人限定です。ネットで申し込みます。
・司祭修道者黙想会 (7月5日夕食~10日(金)昼食 )ソルスビー神父(オーストラリア)
・第30回北海道大会(5月4日~6日)講師赤波江神父、ウルバン神父、畠神父 
・関東大会(7月18日~20日 )講師ボブ・カントン氏  ICCRS委員、米国CCR委員 
・第20回関西大会(8月29日~31日) 講師マシュー・ウォルター夫妻、米国CCR委員
・東北大会(未定)
・第3回アジア大会(9月21日~24日) バーレン ISAO主催(アジア・太平洋地区CCR)
2015年度中に出版予定: カンタラメサ神父「イエス・キリストを思い起こしなさい」
                 ICCRS編集   「聖霊による洗礼」

クリスマス直前の8日前、12月17日は教皇フランシスコの誕生日であることを知りました。故マテオ・ベッター神父も同じ12月17日が誕生日だったことを思いだしました。マテオ神父は、クリスマスは誕生日の喜びと重なり、特に好きな季節ですと満面の笑みを浮かべ、毎日がクリスマスの喜びですと話しました。この日の朗読箇所は、マタイ福音書の系図が読まれます。長い系図の最後は、普通のナザレのおとめマリアで終わります。しかし、恵みによって新しい系図が始まりました。この系図に続く人々は、信仰によって新しく誕生する人々です。「わたしの母とはだれか。わたしの兄弟とはだれか?」(マタ12章46~50節、マコ 3章31~35節、ルカ7章22節)「だれでも、わたしの天の父の御心を行う人が、わたしの兄弟、姉妹、また母である」とイエスは答えられました。わたしたちはその信じる者の新しい系図に招かれた神の家族として世界中の人類家族、兄弟姉妹のために執り成しましょう。
2015年は、日本の教会は信徒発見150周年を祝います。そして高山右近生誕400年、列福が決定される年になることでしょう。人口1200万人に対して推定40万人を超えるキリシタンがいた日本。高山右近や黒田官衛兵は、戦国の乱世のさなかで、義に飢え渇き、まことの神である天の父の御心を求め、あの血なまぐさい戦乱の中で、平和を実現するために働きました。今、わたしたちもまた、新しい福音宣教のために、新しい聖霊降臨を願って、現在の世界に現われる「しるし」を思い巡らし、緊急の必要のある人々、教会指導者、世界の指導者が平和実現の道を着実に歩めますように執り成し、百日連続ミサ連帯共同祈願を始めましょう。
2014年12月24日 クリスマス・イブ
素晴らしい飛躍の年となりますように 主の祝福を皆さんと皆さまのご家族の上に祈ります。
聖霊による刷新関西委員会委員長
連帯共同祈願司式司祭 畠 基幸
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