マラナタ 主よ 来てください!


畠神父


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 11月13日 

すべての国に神の栄光を語り、
すべての民に、その不思議なわざをのべ伝えよ! (詩篇96、3)

集会祈願 すべてを治められる父よ、み旨にしたがって生きる人に、あなたは神の国の喜びを備えてくださいます。あなたからいただくすべてのものが、救いのみわざの完成に役立つものとなりますように。聖霊の交わりの中で、あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

ことばの典礼
 第一朗読 使徒パウロのフィレモンへの手紙 7節ー20節
 答 唱  詩篇 146
 福 音  ルカ 17章20~25節

   神の国はあなたがたの間にある

 
鍵となる言葉と聖句
フィレモンへの手紙
  オネシモはフィレモンの奴隷であったが、おそらく主人の金を盗んで逃亡し、捕まって囚人パウロと出会ったのであろう。
*「監禁中にもうけたわたしの子オネシモ」洗礼の恵みを与え、パウロのために身辺の世話をするようになったのでしょう。しかし逃亡奴隷なので自由にできないから、元の主人に送り返して、赦していただけるように願いました。 パウロからするとフィレモンもオネシモも同じく負い目がある。すなわち洗礼の産婆役を通して神の子の恵みを彼らに授けたのだから・・・それは「あなた自身をわたしに負うていることは よいとしましょう」の表現から見られます。パウロがユダヤ人も異邦人も、奴隷も自由人も、男も女もないとガラテヤの手紙3章28節と宣言しているように「キリスト・イエスにおいて一つだからです」。短い手紙ながらも、パウロの理想の「神の国」の現実がチャレンジされています。

ルカ
 *「神の国は見える形では来ない」- パウロの手紙では、それは上記でも指摘したように「信仰により、キリスト・イエスに結ばれて神の子なのです」(ガラテヤ3章26節)と奴隷社会や格差社会とは縁遠い「互いに愛し合う、赦しあうこと」が実現する。すなわち、神が憐れみ深いようにわたしたちも憐れみ深いものとなるように・・・福音とは、このキリストの血によるあがないの恵みに与って、神との和解の恵みをうけ、兄弟を互いに受け入れることのできる良き知らせです。それを信じることから「神の国」が始まります。

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