マラナタ 主よ 来てください!


畠神父


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 主イエス・キリストの栄光の御傷 (御受難会固有)

復活節の第二週、金曜日は、御受難会では「主イエズス・キリストの光栄ある五つの御傷 (祝日)」を祝います。小教区で、時間的に余裕がなかったので、前日まで覚えていたのに当日になると通常の典礼を行ってしまい、気がついたときはすでに時遅しでした。だんだん物忘れや間違いが増えています。主のために働く日々を楽しく懐かしく思える日が忍び寄っているのですね! ところでぶどうの花は、5つの緑の花びらと聞きました。伝統的には五つの傷はバラの色で表わしているようです。

読書
賛歌

槍よ、おまえをどのように褒めようか。
おまえがキリストの脇腹を開き、
教会は生まれたのだから。

キリストの体が眠っている間に
その脇腹から現れた新しいエバよ。
新しいアダムは自らの心臓から流れ出る
血と水の中でエバを生んだ。

釘よ、おまえをどのように褒めようか。
キリストの聖なる手足に打ち込まれたのだから。
おまえが十字架に打ち込まれ、
キリストの御血によって、
私たちの死刑の判決は廃止された。

イエズスよ、聖なる人々と天使たちは
あなたを称える。
天の国においても
あなたの手足には釘の跡が残り、
あなたの脇腹には槍の傷跡がある。
そしてあなたは父と聖霊とともに
すべてを治めておられる。


 
第二朗読
聖ボナヴェントゥラ司教の文書より(Opusculum La Vite Mistica,13; Opera omnia 8,186-187)

イエスは受難によって最もすばらしい愛の証しを私たちに下さった。

 キリストの御血が最も多く流されたのは、釘で突き刺されたためである。このことは明らかで、罪のないイエスの手と足は釘で貫かれ、おびただしい量の聖なる血が流れ出た。この血が激しく流れ出る中で、私たちの薔薇は深紅に染まる。というのは最も激しい愛、苦しみの極みがそこにあるからだ。この愛の深み、この苦しみの深みにおいて黙想し、恥辱の苦しみの内にある愛の薔薇の輝きを見よ。一体誰がかつてこれほどの痛みと侮辱を受けただろうか。このような苦しみを受けているのは、神である。自分のしもべ達の苦しみを和らげ、また完全に取り除くことを常としておられた方が受けた葡萄が搾られるような受難の苦しみと暴虐を和らげるものは何もない。他人の命を救ったイエスは、自らを救うことをしなかった。
 私たちの優しき主は捕らえられた後、ユダヤ人から、また異邦人からも再三あざけりを受けられた。その後、多くの血を流しながらその手と足を釘で打ち抜かれ十字架につけられた。
 血まみれの受難の薔薇を見よ。それは最も激しい愛のしるしとして、どれほど輝いていることか。 愛と苦しみは競い合う。愛がより激しく燃えると、苦しみはより赤く染まるのだ。しかし、ああ、なんと驚くべきことだろう。苦しみは愛の強さによって赤く染められるのだ。もし愛していなければキリストは苦しまなかったであろう。受難によって、まさに深紅の受難によって、最も大きな何ものとも比較にならない愛の激しさが示されたのだ。
 ちょうど薔薇の花が寒い夜の間その花びらを閉じ、太陽の暖かさの中では完全に花を開いて喜びの輝きであるその深紅の花びらを広げて見せるように、天の国の喜びを与える花であるイエスはアダムの罪という夜の寒さによって長い間閉じられ、罪人たちに完全な恵みを分かつことができなかった。しかし時が満ち、この天の国の花は燃えるような愛の光で暖められ、その体中の傷によって花を開いた。このように、愛の薔薇は流した血の紅さの内に光を放って眩しいほどに輝いた。
 紅く染まったイエスがこの薔薇の内にどのように花を咲かせたかを考えよ。彼の体のすみずみを見よ。薔薇のない所があるだろうか。イエスの手をよく調べて見よ。もう一方の手も。足も片方ずつ、両足を調べよ。どこか薔薇が見つからない所があるだろうか。脇腹の傷も調べよ。そこにも薔薇が見つかるだろう。しかしその薔薇は少し淡い赤色をしている。「血と水とが流れ出た」ところなので水と混ざりあっているからだ。この方こそ水と血によって来られた方、善であられるイエス・キリストである。
 ああ、甘美なる主、すべての人の救い主、善であるイエスよ、どのようにあなたにふさわしい感謝を捧げればいいのでしょうか。あなたはその人生の始まりから残酷な死に至るまで、またその後も私のために血を流して下さる。繰り返し自らの血を流すことによって圧倒的な愛の激しさを示して下さったあなたに私はどのように感謝すればよいのでしょうか。この薔薇は数え切れない程の花びらで、様々に、何と見事に飾られているのだろうか。だれがその花びらの数を全てかぞえることができるだろうか。愛するイエスの脇や体中の傷から流れ出た血の滴の数を数えてみなさい。そうすれば受難と愛の薔薇の花びらの数をかぞえたことになるだろう。御血の一滴が、一枚の花びらであるから。

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