マラナタ 主よ 来てください!


畠神父


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 夏休み 旅行記 (4) ご変容の祝日

長崎の爆心地に立ち寄ったあと、一路 小長井へ向かう。記念小長井

 ここでは、ご変容のミサをみさかえの園むつみの家で重症心身障害者(社会福祉法人聖家族会)たちとともにささげて祈りました。

ここでのミサの説教は、自分の司祭職を振り返り、説教とミサだけをしてきたのではなく、小さな人々への奉仕を心がけてきたことを、幾つかの例を挙げて話されました。
 最初の赴任地では、新米神父の私が最初にしたことは家庭訪問を行い、貧しい家の信者の子供たち、127名が授業料を払えないためにカトリック教育を受けられないと分かり、無料でカトリックの小教区小学校に行けるように司教に訴えて実現したことでした。当時、政府の学校は無料で行けるのですが、宗教教育をしないとはいえ、ヒンズー的な色合いの濃い太陽を拝むことを教えていたのです。また、ヨセフ会のシスターが貧しい子供たちのための施設をつくると聞き、三人で住んでいた司祭館をシスターに譲り、自分たちは廃屋に移動したことがありました。また、これを聞いて、マザーテレサがムンバイで最初の施設を作るために相談に来られた時に、丁度工場が閉鎖されるのを聞き、交渉してその工場の跡地をシスターに貸与することができたこ、などなど・・・神父さんが典礼や説教黙想会で口だけで実行をしないのではなく、愛の行いを心がけてきたことを話されたのです。淡々と話され自分の手柄をひけらかすといのではなく、置かれた場でのキリストの愛の精神を生きることについて話されて、30名ほどの重度の障害者の園生たちは、ルフス神父の話に耳を傾けていた。
 
 そして、叙階後16年をへて、小教区でシスターたちの誘いにより1972年以降ルフス神父さんは聖霊刷新にかかわり、ムンバイで聖霊の祈り会をしていたころ、マザーテレサがカリスマの祈り会に参加して、ルフス神父の祈りを願ったこと、なんと謙遜なことか・・・いったい誰がマザーテレサの頭に手を置いて祈ることができるでしょうか。ルフス神父は、60年代後半からムンバイのマザーテレサの会の指導司祭をしていたけれども、マザーに手をのばして祈るなんて何と恐れ多いと躊躇していたら、マザーはルフス神父の手をご自分の頭に手を置かれたのです。マザーは幼子のような素直な心でルフス神父の祝福と異言の祈りを受けられたのです。このほか、カリスマ刷新の祈りのおかげで、奇跡的にアルコール中毒者が解放されて、また薬物中毒者が解放され、それぞれアルコール中毒者のための厚生施設、薬物中毒者のための厚生施設がムンバイに設立され、数年前に25周年を迎えたことを話し続けられました。ルフス神父のカリスマ刷新との出会いとその確信はそのような社会的な弱者とのかかわりによってはじまったことを証しされたのです。

ルフス神父の説教の結論というか落ちは、わたしの受けた印象ですが、「ご変容のまばゆい光は、あらかじめ十字架と墓の意味を悟らせた。その光は死者をよみがえらせ世に命を与える霊となられた。原爆の光は死と破壊をもたらしたが、イエスは、私が来たのは、命を与えるため、しかも豊かに与えるために、十字架を担い、死んで、最後の晩餐に約束されたように聖霊を世に与えられました。こうして聖霊降臨の光は命と恵みをもたらす爆弾となった。カリスマ刷新とは、そのような命を与える爆弾です。」わたしはこの光を皆さんの上に祈ります。

この後は、聖母の騎士園(小長井修道院)の三人の司祭を表敬訪問し、案内役のシスター鎌田が、聖霊の満たしと病気のいやしをお願いしますと言われていたので、私がルフス神父さんをIAE(国際祓魔師協会)の副会長として紹介し、話を、欧米や日本でので新宗教が流行し、東洋の霊性がうけているけれども、ヨガやサダナなど源はヒンズーを原点にしている祈りは危ないということは、さまざまな病気の原因にそういった霊的な影響があるので、いやしと解放の祈りによって目覚ましい結果があることなどが、ルフス神父さんの最近の働きですと切り出すと、神父さんたちは好奇心と同時に驚かれた様子でしたので、ルフス神父はそちらの方へは話を続けず、ローマで日本人のグループと一緒に勉強し、特に松永司教さんと浜尾枢機卿さんとの交わりなどイタリア語で神父さんたちとローマの学校の思い出や人物をはなされたのちに、ご自分の体験を少し話されました。また神父様たちは、インドで最近起こったヒンズー教徒とイスラム教徒の関係を聞き、祈りの霊の識別はなによってわかるのかなどの質問をされました。その後、カトリック教会のアイルランドのダブリンの大司教の報告など心を痛めることを話し、みさかえの園や聖母の騎士園のようなもっとも困難な奉仕職に主の祝福を祈り、神父さんたちの病気の体の回復と健康を祈りました。

聖母の騎士園
写真のコンベンツアルの神父様方は、左から末吉矢作神父、アルビン神父、二人間を置いて萩原栄三郎神父、末吉神父さんはコンベンツアルの最初の邦人司祭、アルビン神父はポーランドの教区司祭、聖母の騎士のシスターの霊的指導者として来日。
感想:
施設を訪問しての私の印象は、シスターがたが高齢化し現役から退かなくてはならない年齢に達し、会長のシスター中山は92歳で現役の医者としても働いておられますが、後継者がいないことが一番の不安と思われます。もっと早い時期に他の福祉法人に施設を委譲すればよかったのにとか世間的に計算して撤退の方向もあるのですが、しかしマリア様が守られるとの強い確信から施設を社会の要請に応えて拡大しておられます。500人を超える職員の中にカトリック信者はわずかしかいないということも将来を憂いる要素でしょう。カトリックの理念を看板にしながらそれを生きる職員がいなければ絵にかいた餅になりかねない。これは日本のカトリック教会全体の問題でもあり、小教区では、子供たちの信仰教育が学校行事や受験勉強で寸断され、子供たちのもっともなりたくない職業に司祭職があげられるという。これすべて我が過ちなりと司祭のわたしが頭を下げても全体の方向は変わらない。一流の大学や大学院までいって勉強しても仕事にありつけず結婚もできない若者たちが、両親のふところに依存しているというの残念ですしどこか社会がゆがんでしまったのです。人生の目的を快楽に置き、ただ安定した生活をしたいのですと若者たちは明るく言うのです。他者のために命をささげるほど大きな愛はない・・・少なくとも信仰者の家庭に育った若者は、人生の目的を自分の快適な生活に置くことのではなく、世界全体の幸福を考えて自分の人生の仕事を考えてほしいところです。多くの若者が自分の力と才能をカトリックの社会福祉施設の場所で働き家庭をもってほしいですね。


 あんなに素晴らしい奉仕の仕事をした司祭・修道女が疲れきって傷み病んでいる。若者たちが、愛のために自分を与えても最後はこんな風になると見ているのでしょうか?それはすごく残酷なものの見方で信仰を知らない無神論なのです。私たちの信仰は、そのような姿の中に栄光を見るのです。勲章なのです。他者のために命を与えること、それは十字架のイエスとともに生きることです。そして永遠の命の門に入る道なのです。

これは私たちの自分の力でできることでしょうか?そうであれば、もはや世間と同じです。主よ、あなたは今も嵐の中で眠っておられるのでしょうか?わたしたちもまた、ペトロと一緒に「主よ、助けてください。おぼれそうです。」とお願いしなければなりませんか?いいえ、あなたはずっと生きておられわたしたちのために寝ずの番をしておられるのです。アレルヤ

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