マラナタ 主よ 来てください!


畠神父


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 シスター足立からの便り

主の平安
 裏庭で鶯がしきりに春ですよと報せていますが、しんしんと冷えてちぢみこみそうです。
 いよいよ灰の水曜日、心も体も引き締まる思いがします。新教のお友達が「カトリックは典礼に変化があっていいですね」と話されたことがありますが、本当にそう思います。イエスさまにもっと近づけるように祈り努めたいです。
皆様にはいかがお過ごしでしょうか?
 私はこの間誕生日を迎え73歳になりました。生をいただいてこれまでの恵みを思いながら、ネパールのサリタちゃん(12歳)を想いました。生まれつき眼球が不完全で(胎中で栄養不足だったため)少しは見えますが、知能も低く身体も虚弱で自分のことを自分ですることも出来ません。父親は病死、母親はサリタちゃんがいると働けない、二人で食べていかれない状態でした。それで小さい時から遠くの村からお母さんと私たちの保育園に通い育ち、お母さんは職員として洗たくや掃除をして働きわずかなお金で生活しています。そのお母さんも今年定年退職の年ですが、仕事がなくなるとどうしようと泣いています。
 今は二人で朝早く保育園に来て水汲みや掃除の仕事をしてから、お母さんは8時30分にサリタちゃんを大木神父さまがしていらっしゃる障害児施設に連れて行きます。(片道30分)その後また保育園に戻り、お母さんは一生懸命働き、夕方サリタちゃんを迎えに行って二人で村に帰る生活をしています。
 私もネパールにいる間、週に半日ですが園の畑で働くお母さんの手伝いをしました。とても楽しい半日でしたが、30度を超す暑さ汗で眼鏡がしておられなかったり、アリの大群にせめられたり、蚊はフマキラをまいて追い払ってもすぐやって来ます。蚊取り線香をたいても外なので無駄、最初は必死で工夫しました。それも結局私一人のためで、お母さんはそんなことかまっていられない。蚊取り線香を買うお金があれば卵ひとつでも・・・と思われたでしょう。そんな自己中心で相手のことを思いやれない自分に気がついて恥ずかしかったです。
 例えばカボチャは実のなる前に茎や葉、実の付かない花を取って夕食にします。豆を植えて一夜の洪水で全部流され、もう次の種を買うお金はありません。生き残っていた小さな芽を見つけて、私の手を取って連れて来てその芽を見せて喜び、覆いをして大切に育てます。野菜一つひとつがこんなにいとおしく思ったことはありません。曲がったにがうりやきゅうり、芋のつる、へちま・・・。
 良くできる子どもには奨学資金を支給しています。(50人位)でもサリタちゃんはお母さんが病気になったり、亡くなればどうなるのでしょう。一人で生活が出来るように今訓練中ですが、お金はありません。ネパール政府は無関心です。
 私は誕生日につくづく思いました。今まで生かされて、あたりまえではなかった、もしかすると私がネパールでサリタちゃんのような境遇に生まれることもあったと・・・。何とかしてあげたい、私なりに犠牲したり、祈ったりしてはいますが一人だけでは特別なことが出来ません。
 それでお願いがあります。大変あつかましいのですが、月に500円づつ(買い物のおつりの小銭集めでも)サリタちゃんの将来のための基金にしていただけませんでしょうか?出来る時に出来る時まででよいのです。
ずっと前からこの家庭のことは心配でしたが、お母さんがまだ働けると思っていました。あちらの貧しい人はとても年老いて見えますし短命です。私が「72歳よ」と言ったらびっくりしていました。お母さんの方が年は少なくても歯はないし、水も遠くからもらってくるので腰も腕も使いすぎ、毎日毎日、歩いて歩いて・・・それは疲れきっています。この度、定年と聞いて今後のことを切実に感じました。
もしも、皆さんのご協力が頂けるなら、他にも叫んでいる人はたくさんいらっしゃいます。だれに必要か現地の方と相談して煮詰めてみます。もしもシスターや神父さまが引き揚げることがあったとしても、責任を持って預かってくださる方を頼みます。どうぞ宜しくお願い致します。
主の十字架の道をともに祈りつつ・・・

福音の光修道会  足立志津子

(この件に関するお尋ね等がございましたら、日生中央教会の駒田までご連絡をいただきますようお願い申し上げます。)
 池田・日生中央教会の司牧協力をしてくださった福音の光修道会シスター足立よりお願いの手紙です。シスターは、新しく設立した福音の光修道会と同じ趣旨の修道会の援助のためにベトナムに滞在して最近帰国されました。以前訪問したことのあるネパールの子どものことが気になって皆様に援助をお願いされました。
 日本も援助が必要な人が増えています。わたしも先日知ったことですが、家が貧しいために学校に行けない高校生が増えていることがNHKの番組で報道されて、へえーと驚きました。この10年間に授業料減額措置を受けた人は2倍に増え、昨年からは加速的に高校を中退する子供たちがいるとのことです。高校進学率90%を誇った日本、技術先進国日本の立役者は、この幅広い高等教育を受けた優秀な人材だったのに、能率主義と効率主義でロボット工場が主役になり、一握りの管理部門の人材だけを雇用すれば間に合うと考える企業の戦略が、国家百年の計を見失わせたと言えないわけではない。派遣社員の制度がいつの間にか通常になり、雇用しなければならない期限がくると容赦なく切り捨てる。今年がその3年目にあたり、多量の出業者がでると予想されています。”おしん”が生きていたような時代に逆戻りすることはないとしても、若者や子供たちの将来に大きな影が忍び寄っています。一家心中などの悲惨な事件や社会不安が増大することは確かだと思います。

 このようなときは、他国の子供たちへの援助は難しいですが、もっとも小さなものへのいつくしみは、それが秘跡のしるしとなって大きな神の愛を体験することになるでしょう。貧しい人への献金は、ミサをするときいつもしなければならないことなのです。そして祈りは聞かれる祈りになります。 わたしは何度も体験したことです。

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