マラナタ 主よ 来てください!


畠神父


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 Merry Christmas !

Merry Christmas and A Happy new Year
クリスマス 幼子の誕生は、新しい希望の誕生の時でもあります。大きな変革を迎えた今年、さまざまな思いを胸に新しい希望の年を迎えようとしています。また、百日の共同の祈りを始めます。皆さまのもとに手紙を書きました。住所をお知らせくださった方には来週29日ごろ直接お送りします。

降誕祭のミサ
カトリック日生中央教会にて、7時半からのミサには昨年よりも多く近隣の参加者が多かったように思われます。

降誕祭のミサ説教(実録)
小倉摂子さんによるテープの書き起こしです。(※クリック)
クリスマスキャロル

12月24日 イブミサ (カトリック日生中央教会)
畠 基幸神父 説教

「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ。」(ルカ2・1~14)

今日の朗読で、私たちは二千年前のイエスさまの誕生を思い起こして黙想します。
当時、ローマ帝国の中で、皇帝アウグストゥスから全領土の住民に、登録をせよとの勅令が出されました。ユダヤの地はローマの属国であり、ローマ帝国から任命されたヘロデ王は真の王ではなく、傀儡政権のような形でした。
「恐れるな。私は民全体に与えられる大きな喜びを告げる。」ユダヤの民だけではなく、全世界のすべての人に伝えられる大きな喜びとして、私たちのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアであるというメッセージです。
アウグストゥスは、ローマ帝国の中、全地中海の覇者となり皇帝となって平和を成就したということで、「神の子」「平和の君」という、イエスさまと同じような称号をもらっています。そのことで後にユダヤ人たちの抵抗運動が起こることになったと思いますが、それがイエスさまが誕生した当時の社会的な状況です。

私たちは二千年前の主の降誕を祝うと同時に、今日の問題を見て、私たちのうちに平和というものが成就するために、どれほど祈らなければならないか、そして真の平和が一体何であるかをもう一度思い起こします。

確かにクリスマスは神の子の誕生をお祝いして、プレゼントを交換し、貧しい人のためにも何か私たちができることをするという喜びの時です。「クリスマスキャロル」は、喜びの祝祭の歌という意味ですが、1848年頃に書かれた、チャールズ・ディケンズの「クリスマスキャロル」という小説がありますね。当時、イギリスは植民地政策で栄えていて、第一次産業革命が終わる頃、農業革命で地主階級から農地が解放されて人々に分配されるようになり、それと同時に工業生産に従事するために、大量の未熟練低賃金労働者階級を生み出し、資産家階級との貧富の差のある格差社会が増大してきたという時代背景の中でチャールズ・ディケンズは物語を書いたわけです。
インターネットで見ると、「金持ちは貧しい人に自分の裕福さを分かち合うべきだ」というコメントが書いてあったのですが、この物語はそれ以上の内容があったと思います。

みなさんもよくご存じだと思いますが、物語の主人公であるスクルージに、マーレーという共同経営者が幽霊となって出てきて、「お前のような生き方をしていると死んでからこんな風に鎖に繋がれて苦しい目に遭うのだ」と言います。そしてクリスマスを迎える夜の2時3時4時に、過去・現在・未来のクリスマスの亡霊が出てくるという話です。
ディズニー映画が11月に封切られたのですが、それを観る余裕もないので、インターネットで観たのですが、そこでは、「運命を変える」「チェンジ」という言葉が使われていました。今年はオバマ大統領からはじまるチェンジ、変化変革の時代だったので、運命を変えることができる、目が覚める前に未来を変えることができるということが強調された映画なんです。
スクルージは守銭奴と言われるように金に執着するようになったのですが、その原因は過去にあって、みんなから除け者にされたり、折角できた許嫁を幸せにしてあげたいと一所懸命働いたことで、かえって許嫁と過ごす時間がなくなり、「あなたは金と結婚したような人だ」ということで逃げられ、彼はますますいじけた人間になり、お金だけの人生になっていったわけです。
現在のクリスマスでは、雇い人の息子が病気で、そのままでは死んでしまうだろう、でも彼は「貧しい者には一銭も寄付しない。寄付しても助かるわけでもないし、死んだら人口が減るからいい」というような非情なことを言うのですが、クリスマスの亡霊に、その貧しい家族が自分のために祈っている姿を見せられるわけです。そして甥の家に連れて行かれると、昔味わったような楽しいクリスマスがそこにはあったのですが、甥のお嫁さんはスクルージのような人が来たら困ると言う。でも甥は彼が改心することを望んでいるのだと言う、その姿を見るわけです。
現在の自分は過去の自分の選びの結果であり、未来は現在の自分の選びの結果であるということを考えさせてくれる話です。未来の姿は現在の積み重ねであって、この一刻一刻が未来を創っていくわけです。ですから、今変わらなければならない。  
チェンジということがよく言われますが、COP15も、未来がわかっていても、やはり自分たちの生活を変えたくない。特に中国やアメリカという巨大な国の経済政策との関連もあって、なかなか素直に未来のために今、自分たちが犠牲をしましょうという一言が出てこなかったわけです。でももっと努力できるはずです。

イエスさまが生まれた当時、全く平和はなかった。でも、神の子が世に来られたというあの一点において、神が私たちとともにおられるということを通して、そこに希望が生まれてきたということです。この世界の平和のために神さまご自身が支配される正義が実現する。その世界を垣間見せてくださった。それは十字架において実現したということです。イエスさまご自身が、この世界の矛盾と苦しみと痛みをご自分のものとして受け止めてくださった。その御子の誕生を今日は祝っています。
たしかに私たちの世界は矛盾だらけで、あの当時のローマ帝国のように武力で抑えるような現実的な政策でなければうまくいかないのだという誘惑があります。でも、真の平和はやはり神に立ちかえるということです。いろんな囚われから解放されて、真の主に真の命に立ちかえる。あの無垢で無力な姿を通して、私たちは真の平和へと立ちかえることができるというビジョンをあのルカ福音書の本当に短い2章程の中に私たちは見るわけです。
私たちはこの世界を変えるほどの力があの無力な赤子の中にあるのだということにもう一度思いを新たにします。

クリスマスキャロルの物語が語られた30年後、二つの大きな運動が始まりました。カール・マルクスは、ロンドンで1867年に「資本論」第一巻を書き上げ、共産主義革命、階級闘争をしてこの世界を平和で平等な国にするのだというユートピアのビジョンをもってこの世界を改革しようとしました。そして同じ時期、同じロンドンにいたメソジストの牧師ウイリアム・ムースは、神からのメッセージを受けて、「救いのために軍を起こそう」と、救世軍を創立しました。この軍は、愛の革命であり、貧しい人のために連帯するということで、ほんのわずかなお金を集めて多くの苦しんでいる人のために手を差し伸べて、輪を作ろうという運動は現在も続いていて111カ国で活動し、英国の福祉予算に匹敵するほどの義援金で世界中の緊急支援活動を行っています。
共産軍と救世軍、この二つの大きな運動が同じ「運命を変える希望」のメッセージをもってはじめられました。しかし、歴史の証言から、階級闘争は人間性を阻害する暴力革命となり、救世軍運動は、人間性を尊重する愛の連帯運動となりました。この違いはどこから生まれたのでしょうか。クリスマス物語自体の理解が違っていたのではないでしょうか。共産主義は無神論を唱え、救世軍は世の救いを神の意思と考えます。マルクスにとってクリスマス物語は単なるおとぎ話に過ぎませんでした。
神が人となられたことを喜び祝う私たちは、人が単なるものとして存在するのではなく、神が愛された存在者として生かされていることをクリスマス物語から読み解きます。そしてまた救い主イエスが、貧しい人々の中に、貧しい人の一人としてお生まれになったことを知ります。「私の兄弟であるこの最も小さな者の一人にしてくれたことは私にしてくれたことなのである(マタイ25・40)」。私たちをご自身と同じ「我と汝の関係」として向き合ってくださるのです。そして無償でご自身の命と交換してまで愛してくださるのです。

私たちは自分ができる何か小さなことを通して、神さまの大きな愛の業に参加することができるよう、希望をもって今年を祝い来年につないでいきましょう。
                  

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