マラナタ 主よ 来てください!


畠神父


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 第27主日 A年 列福記念ミサ

列福をひかえ、ともに祈る七週間(10月5日)より
「聖書と典礼」から

 集会祈願: いのちの与え主である神よ、あなたはすべてのものを守り育て、豊かな実りをもたらしてくださいます。わたしたちがいつもあなたの働きに心を向け、その愛にふさわしくこたえることができますように。聖霊の交わりの中で、あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、わたしたちの主イエス・キリストによって。 アーメン

みことばの典礼
 第一朗読  イザヤの預言 (イザヤ 5・1-7)
 答  唱  典礼 80番 4、5、6、
 第二朗読  使徒パウロのフィリピの教会への手紙
 福  音  マタイによる21章 33節-43節
 
:息子を捕まえ、ぶどう園の外にほうり出して殺してしまった。
                    (マタイ21章39節) 
欄外注 * イエスはエルサレムの城外で十字架にかけられた
                  (ヘブライ13・12-13)。

共同祈願(信者の祈り) :
 ペトロ岐部と187殉教者の列福をひかえ、ともに祈る七週間が今日から始まります。日本の全教会が、四百年前の殉教者たちが遺した信仰のあかしを思い起こし、現代に生きる神の民としての使命を見つめなおすことができますように。
 
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 「残念なことが一つあります。将軍様はじめ、すべての日本人をキリストに導くことができなかったことです」(ニコラオ福永ケイアン)
 
 「捨てることのできない教えですので、このようなことになりました。」(小笠原みや 遺書)

 「わたしの希望は、石や土でできた聖堂にあるのではなく、またときの移り変わりを免れない司祭や、この空の下の何ものでもありません。ただ神にのみ希望をかけているのです」(アダム荒川)

 「いまめぐみに満たされて、わたしたちはキリストと教会への信仰のあかしとして、このいのちをすべてささげようと心は燃え上がっています。・・・この気持ちは、永遠のいのちを約束してくださった主のみことばからくるものです」(1620年島原半島の信徒代表たちによる教皇五世への奉答文)

 「尽きることのない人生の労苦は、歯をくいしばって耐えるだけがすべてではない。できれば、喜んで耐え、ささげたいものだ」(ディエゴ加賀山隼人)

 「アダムの死は人々を感動させました。弱さのために信仰を捨てた人々も、彼の勧めと模範によって、また信仰を取り戻しました」(マトスの報告書)

 祈り:
 永遠の父よ、 みことばは人となり、世界に光が与えられました。信じる者のこころに宿られたみことばが、日々の生活を照らし、そのみことばをすべての人々に伝えることができますように。わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン」

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