マラナタ 主よ 来てください!


畠神父


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 百日連続共同祈願 9月15日 開始

悲しみの聖母の祝日は、百日連続共同祈願を始めるのにふさわしい祝日です。十字架の称賛の祝日の翌日に定められた祝日、十字架のイエスの傍らに母マリアが立つという姿をたえず思い起こすことによって、御子の苦しみを母の痛みと悲しみと嘆きをもって受け入れた聖母マリアの特別な位置と存在に思いを巡らし黙想しましょう。

 百日連続共同祈願には、たくさんの祈りの意向が届けられています。それらは簡単には解決しないものばかりです。

 あらゆる病院や宗教やカウンセリングに通ってもただたくさんのお金を要求され、登校拒否の子供が却って苦しみと悩みと病がひどくなったというお母さんからの電話がありました。「修復することのできない過去の闇を背負う家族や配偶者や子供たちの苦しみを、一緒に担ってくださり同伴してくださる方は聖母マリア様しかありません。」そう答えると、聖母にも祈りました。何の救いもありませんとの返事。
 
 イエス様も同じように問い詰められたことがありました。「この霊を追い出してくださるようにお弟子たちに申しましたが、できませんでした。(マルコ9章18節)」そして、イエス様は、「この世はなんと信仰のない時代なのか。いつまでわたしはあなたがたと共にいられようか。いつまで、あなたがたに我慢しなければならないのか。その子をわたしのところに連れて来なさい。(19節)」それから、父親に「このようになったのはいつごろからか」とお聞きになりました。

 一つの問題には、さまざまな要因が絡んでいることがあり、そのすべての原因を探ることは不可能に近い。そして、その救いの鍵は当人のなかにあり、その問題に向き合わなければならない。だがそれはカウンセリングの可能な人の場合に限られる。統合失調症や発達障害、はじめから傷をもって生まれてきて、そして世の中の都合に翻弄されて誰からもまっとうに相手にしてもらえない。

イエス様は、こう言われました。「ものも言わせず、耳も聞こえさせない霊、わたしの命令だ。この子から出て行け。二度とこの子の中に入るな。」同じように、デカポリス地方でのいやしも、「耳が聞こえず、舌の回らない人」に両耳に手を入れ、舌につばをつけ、そして、深く息をつき、「エファタ(開け)」と言われました。一切の自分以外の外の世界を信じることができず閉ざされた中にその人は生きているのです。そして、自分をも信じることができない。このように閉ざされて口もきけず、耳も聞こえない状態になるまでに、どれほど多くの複雑な事情に翻弄されたことでしょう。彼の側に立つならば、その怒りがこみ上げてくるでしょう。この世界の身勝手さが・・・イエスもこの子の側に身を置いて嘆息されたのです。「息をつくのは」のは祈りの動作ですが・・・この子のために祈る人たちがなければ癒されない。わたしたちには直接なにもしたあげられないけれども、祈りのうちに、この子の生育の過程で受けた傷を、私たちが与えたものとして一つずつ数え上げながらこの子にゆるしを願い、あなたを愛すると呼びかける。これがいやしの始まりになることでしょう。

 人生の道では、イエスは道であり、聖霊は案内者です。そして同伴者は、聖母マリアです。聖母マリアは、一人ではなく、教会の母といわれるように教会の姿を現します。聖母が最後まで十字架の傍らにおられたように、教会もまた現代の十字架の苦しみに遭遇する人々、神を信じきることのできない人々の傍らで、最後まで父を信じで十字架の苦しみを受けた御子の母として、同伴して慰めと力づけをとりなしてくださいます。

 「なぜ、わたしたちはあの霊を追い出せなかったのでしょうか」
イエス様は、「この種のものは、祈りによらなければ決して追い出すことはできないのだ」と言われました。わたしたちの百日連続共同祈願は、イエスの祈り、御父へのささげの祈りに与るように毎日願います。確かに、わたしたちは不信仰で、祈りの力を持っていません。でもあわてずに忍耐して祈りましょう。わたしたちは、迷路にはいったり、迷子になった時、あわてるとますますパニックになって分からなくなることがあります。かならずなんとか出口はある。それを知っているので、今分からなくても何とかなると思っています。だから、神は追い切れないほどの荷を負わすことはないとわかるので、救いの道は必ずあると信じることができ、解決のヒントを思いつくことにつながります。詩篇には、救いの業、神の素晴らしさを一つずつ数え上げろということばがあります。一つずつ数えげるというところに力があります。賛美の心へと変えられることでしょう。


 母親の訴えに私たちはどう答えましょう。母の訴えは、お弟子さんたちも、できませんでした。病院や警察、祈祷師、占い師、心理療法士、精神科医も何もできませんでした。息子はいつ自殺するのかと恐ろしい毎日ですと・・・。わたしは、百日間そのことを覚えて、主イエス・キリストのみ名によって祈ります。ただただ、主イエスの祈りに信頼してゆだねましょう。祈りは愛ですと答えました。
 
 皆さまも お祈りください。皆さまも、また母マリア、主イエスの十字架に傍らに立つ悲しみの聖母として、救いの協力のためにたくさんの涙と祈りをおささげしてください。聖モニカのように、聖マグダラのマリアのように・・・愛の勝利を歌う聖人たちと共にあなたもイエスの傍らいてください。

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