マラナタ 主よ 来てください!


畠神父


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 八月九日 第19主日

「わたしは天から降って来た生きたパンである。」(ヨハネ6章51節)
ことばの典礼

第一朗読   列王記 上 19:4-8
答唱詩篇   34 (典礼128 ① ② ③ )
      「主を仰ぎ見て 光を受けよう 
              主が訪れる人の顔は 輝く」 
第二朗読   エフェソ 4章30節~5章2節
      あなたがたは神に愛されている子供ですから、
        神に倣う者となり、・・・愛によって歩みなさい。

福  音   ヨハネ6章41節~51節


日生中央教会での説教 テープ実録
(当日のもので聞き取りにくいところ意味不明のところを多少加筆しています。夏休み中は ほとんど原稿をつくることができませんでした。テープによってはじめて自分の説教を読んでみることができました。小倉さんのご努力に感謝申し上げます。)
8月9日10時 日生中央教会 -主日の説教ー
畠神父 

ちょうどこの夏の暑い時に、夏休みをとられる方もあるかと思います。わたしも先週は夏休みをとって、尼崎の聖霊大会の後、長崎まで行きました。大会講師のインド人のルフス神父様が、亡くなられた浜尾文郎枢機卿や松永久次郎司教、島本要司教と、ローマで同級生だったということで、墓参りに行きたいということで、松永司教と島本司教の長崎の御墓へご案内しました。
一緒に旅をすると、その人柄がよく現れるのではないかと思いますが、ルフス神父様は非常に信仰深い方で、食事をするときもちろん祈るのですが、食事への感謝だけではなくて、前の食事から今までに起こった出来事を、全部一つずつ挙げて感謝して、お祈りされるわけです。「この方と出会いました。ここに行きました」というように、旅路のすべてを神さまからのものとして感謝してお祈りされるので、感心しました。
わたしたちの日々の糧というものは、単なる体の糧だけでなくて、本当に神さまからいただく恵みとしてすべての出来事がわたしたちを生かす力の源になっているのではないかと思います。

今日の第一朗読(Ⅰ列王記 19 9a11~13a)は、エリヤがせっかくバアルに仕える預言者たちに打ち勝って主を証ししたのにもかかわらず、かえってイゼベルに命を狙われることになって、荒れ野へと逃げて行き、そこで神に願って言います。
「主よ、もう十分です。わたしの命を取ってください。私は先祖に勝るものではありません。」もう使命は終わったのだから、早く命を終わらせてくださいという願いです。 
わたしたちも時々、そのような祈りを言いたくなることがあります。困難な状況の中、もう十分やったんだから終わらせてくださいということです。あるいは病気になってこれだけ苦しんだのだから、もうこれで終わりたいという気持ちが起こります。戦争で亡くなった方々は、突然の死を迎え、したいことはまだいっぱいあったと思いますけれども、何か色んな使命を果たした後は、もう十分ですということもあるのではないかと思います。
でも、エリヤは、自分の力ではたった一日しか歩けなかったのですが、神さまは彼に眠りと食べ物と水を与えて、その食べ物に力づけられて40日40夜歩き続けることができた。
わたしたちは自分の力だけですと、後もうこれで終わりにしてほしいということがあるのですが、神さまに祈る時、委ねる時には、食べ物、つまり神さまの命によって、力づけられ、40日40夜歩き続けることができる。それが旧約聖書の前提で、この神に力づけられる食べ物はいったい何かというと、神さまご自身の命で、わたしたちは養われるということです。

ヨハネの福音書の6章(41~51節)を通して、このご聖体のカテケーシスが分かります。わたしたちはご聖体をいただいていますけれども、そのご聖体は単なるパンではなくて、それは神さまご自身の命であるパンであって、わたしたちを力づけ、40日40夜、ホレブの山で神様に出会う最後まで、あのモーセが出会った神さまの命に到達するほどの力をいただくわけです。
つい最近、御変容の祝日がありました。三人の弟子たちがイエスさまの本来の姿を見ることができ、そこではモーセと預言者エリヤがイエスの十字架について話をしていたということが書かれてあります。わたしたちが色んな困難にあるとき、十字架の死の贖いを通して、神さまと人とが一つになられたイエスさまがわたしたちの仲介者であると同時に、わたしたちのためにご自身の命を注がれた神であるということを現わされました。
今日の箇所にも、イエスさまが仲介者であるということが書かれています。「父を見たものは一人もいない。神のもとから来た者だけが父を見たのである」とおっしゃるのですが、仲介者というだけではなくて、「わたしは天から降って来た生きたパンである。このパンを食べるならば、その人は永遠に生きる」と、その命のパンをわたしたちはいただくことができると書かれています。
わたしたちはそれをもう、そのまま信じないと、それがわたしたちの内に働かないと思います。これをいろいろと哲学的に考えて、目に見えるのはパンだけれども、中身がなんだとか、神の命が体に変わったのだとか色々言いますけれども、でも、これがわたしのパンであると言ったときに、このままこれがイエスの命のパンである。十字架を通してくださったパンなのだ。そしてこれはわたしたち一人ひとりが一番いただきたい聖霊に満ちたパンなのだということです。 
ルカ11章の「主の祈り」の後に、たとえ話がありますが、父は本当に求める者に良いものを与えられないはずはない。その良いものとは聖霊である。ご自身の命を与えてくださるということです。 
このような形でわたしたちは信仰生活という長い旅路を歩んでいますけれども、その信仰生活の中で、やはりご聖体に毎日力づけられないと、やはり自分の力ではもう限界、もうこれで十分だということになるのですが、それ以上に、キリストの体を通して、わたしたちは神の子、御父に愛された子どもであるという自覚に立って歩み続けることができるのだと思います。

長崎ではルフス神父様と墓参りの後、聖母の騎士の「みさかえの園・むつみの家」に行ったのですが、そこには重症心身障害者(社会福祉法人聖家族会)の施設があり、汚れなき聖母の騎士聖フランシスコ修道女会140名ほどのシスターが経営母体です。そのほとんどが高齢になり後継者がいないことは問題ですが、施設で働けるシスターとなると更に少ない人数です。それでも神さまが何とかしてくださると信じておられます。マリアさまも守って祈ってくださる施設なのだからと、他の人に譲らないでまた大きな新しい施設を作っておられました。92歳になるシスター中山という創立者が、お医者さんで、まだ現役で働いておられるのです。後継者がいなけれど、でも、子どもたちはマリアさまが守っておられますからということで、やっておられました。
ルフス神父様はミサのお説教で話されました。「わたしも司祭職のはじめから、貧しい人や障害者のためにムンバイで働いていましたが、ヨセフ会のシスターが貧しい子どもたちのための施設をつくると聞き、三人で住んでいた司祭館をシスターに譲り、自分たちは廃屋に移動したことがありました。このことを聞いて、マザーテレサがムンバイで最初の施設を作るために相談に来られました。自分に頼まれてもと困ったが、丁度工場が閉鎖されるのを聞き、交渉してその工場の跡地をシスターに貸与することができたのです。」
そしてルフス神父が言われるには、ムンバイで聖霊の祈り会をしていたころ、マザーテレサが来られて、ルフス神父の按手を願ったということです。いったい誰がマザーテレサの頭に手を置いて祈ることができるでしょうかと躊躇していたら、マザーはルフス神父の手をご自分の頭に置かれ、マザーは謙虚に幼子のような素直な心でルフス神父の祝福を受けられたとのことです。
半時間くらいにもなった彼の長い説教の間も、重度の障害者の方たちは本当に大人しく聞いていました。(カット)三十数名が信者ですけれども、言葉もできないし、体も動かないし、目だけが見ているという感じなのですが、子どもから大人までおられました。
確かにわたしたちは五体満足ですけれども、でも、やはり年がいったら、同じようにやはり人の世話にならなくてはならない。そのような姿に私たちもまたなるんだなと思います。わたしたちは神の国に入る、信仰という旅路の中で、どのような姿にされるか分かりませんけれど、そこには何か神さまの計らいがあると思います。
ミサの後、一人一人にルフス神父が按手して祈り重症者の部屋まで訪問し祝福してので施設全体が大きな喜びであふれました。人は聖霊に満たされることほど幸せなことはないのです。それは、理解を超えることですが、弱い無力な人々の期待と祈りに、神は微笑みと愛をもって応えてくださり、神の国はあなたがたのものと主が宣言されているのです。どんな小さな一人をも神は見捨てることはないという希望の中に平和のための祈りがあるのではないか、そういうふうに思います。
今日は昼から玉造カテドラルで平和のための祈りとミサがあります。社会活動が担当していますが、色んな話し合いもあり、平和のための運動のひとつだと思いますが、基本的に神のご計画、平和のために、わたしたち一人ひとりが呼ばれているという思いをひとつにして祈りを捧げたいと思います。

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