マラナタ 主よ 来てください!


畠神父


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 第14回聖霊による刷新関西大会

8月1日から3日まで尼崎ニューアルカイックホテルで、
 第14回聖霊による刷新関西大会が開催されました。

 「主は 今 生きておられる」
  講師  ルフス・ペレイラ神父 (ムンバイ教区)
 「生きているのは、もはやわたしではありません。キリストが私の内に生きておられるのです。」(ガラテヤ2:20a )
英語のテキストは ウェブ上にあります。
  Jesus Today http://frrufus.org/
翻訳は 小熊晴代  非売品 (300円で会場で実費頒布)

   
 
7月31日到着: ルフス神父関西空港に到着直後の神父様、ウィーン、ニューデリー、ムンバイ、ニューデリー、台北、香港と乗り継いでようやく関空に到着したお顔です。

大会には、宿泊、日帰りの両参加者を合わせると400名近い人が集まりました。この中には、浜松など東海地域で働いている日系ブラジル人が60名ほど参加し、またベトナム人の数家族が参加しました。日帰り参加者の費用は、会場費に充てられますが、日系ブラジル人の参加者には金融危機による影響を考えて参加費を無料にしました。

賛美のリーダーは、今年も秋元さんが全日程を担当し、選曲も的確に賛美と礼拝の導きを行い、名古屋・東京からの音楽奉仕者と息が合った演奏で賛美の奉仕で大会の成功に貢献してくれました。音楽奉仕者は、かなり歌いこんだ楽団のように確かな楽器演奏と歌声でリードしながら、会衆全体の中に溶け込んで会衆が賛美の歌で主に向かうことができるようにリードしてくれました。この賛美の奉仕がないと、これだけの大きな会場では、一つの賛美の祈りの調和を保つことも、参加者から喜びの心を湧きあがらせることもできません。音楽奉仕者たちは遠方から手弁当を下げて集まってくれました。なんと素晴らしい・・・(秋元さんは、職務のため今年は奉仕ができないとおっしゃったのに新型インフルエンザの影響で、学校は夏休みに補講することになったため、生徒の海外旅行の付き添いは中止になったとのことでした。秋元さんはあるカトリック女子校の教頭先生です。)

通訳は、小熊晴代さん、毎年丁寧に通訳してくださいます。今年は、ルフス神父さんの著書をあらかじめ訳すのがよいと思い、「Jesus Today 」(ルフス著)の翻訳をお願いしました。大会直前まで時間を奪われるかなり高度な仕事をお願いしたことは、小熊さんには大変なご負担をおかけしてしまいました。お許しください。片耳が難聴になり、治療のため安静の必要な中で私たちのために頑張ってくださったことに心から感謝とお見舞い申し上げます。一日もはやく主がいやしの恵みを与えてくださいますように。資料として販売した小冊子は、印刷した500冊すべてが売り切れました。(会場で印刷代250円プラス50円)@50円x500冊はルフス神父様にお渡ししました。小熊様のために翻訳料が出ませんでしたので、小冊子を手にされた皆さまが彼女と家族のために主イエスが豊かに祝福されますようにとりなしの祈りをお願いします。ルフス神父が話されたことによれば、小冊子はドイツ語版はSrマルガリタが翻訳、またポルトガル版の小冊子は、ブラジルでもよく売れており、英語版はまったく在庫がないとのことです。


 奉仕で参加する。大会準備のスタッフも、時間とお金を使って皆様のために奉仕する。聖霊による刷新によって受けた主の臨在の体験があまりにもすばらしく内的な変容と賜物を他者に分かち合いたくなる。司祭も自腹で年の休暇を取り交通費もホテルの費用も支払って参加する。刷新にかかわると徹底的にこき使われる? いいえ、奉仕するものへと変容するのです。今回は、最終日のミサに12名の司祭がいたのには、摂理的なことと思います。聖霊の油注ぎがたびたび12人の使徒や弟子に下ったように、今回も主の臨在が豊かに降りました。きっと日本中に聖霊の賜物が降るに違いない。

会場1会場3会場2

講座の内容や記録の詳細はCD録音にて実費で頒布できるよう準備中です。刷新事務局 川瀬さんにご連絡ください。
講師のルフス師は、ムンバイの教区司祭で1972年から刷新運動にかかわり、ムンバイの教区長からフルタイムで聖霊による刷新のために働くように命じられ、以来、「カリスマ聖書学校」と「カリスインデア」というカリスマ雑誌の編集長を務めてきました。1990年代からは、国際祓魔師協会副会長(IAE 会長はアモース師)、国際解放の祈り協会(IAD)会長の職にあるので、聖書学校はフィオ神父に譲り、「カリスインディア」の編集長だけを担当しています。その他には、司祭の黙想会、また祓魔師の養成講座をドイツとオーストリアに置き、年に数回ヨーロッパに、またブラジルに毎年一般黙想会指導に出かけています。このたびも、ポーランドでの司祭黙想会を指導して、引き続きの過密スケジュールのなか、日本のために来日していただきました。ICCRS(国際カトリックカリスマ刷新奉仕会)の常任委員を務め、刷新の経験が深く、しかも神学博士で教皇ベネディクト16世とは師弟関係、カトリック・カリスマ刷新の指導者として最適な人物を今回お招きできたことは大変はお恵でした。

今回の来日は2度目で、一度目は、1997年名古屋の研修センターでの司祭黙想会でした。その時は、38名の司祭・修道者・宣教者の参加者がありました。今も私はその時の参加者のリストを持っていますが、半分ぐらいの司祭はすでに亡くなっておられるか、引退して自国で静かな療養生活を送っておられます。このときも、ルフス神父さんがなぜ日本に来たのかを話しておられますが、今回もその話を少しされました。ルフス神父さんは、一年先輩に澤田神父、同級生に日本の浜尾枢機卿や松永司教と鷹嘴神父、一年後輩に島本司教、同時期にローマのウルバノ大学(The collegio Urbano de Propaganda Fide in Vatican city, Rome )で勉強し浜尾・松永・鷹嘴など35名と一緒にローマで1956年12月22日叙階され、とくに松永司教と一番親しい仲でした。ルフス神父さんは、1972年にカリスマ刷新に出会い、その後カリスマ刷新に全面的に指導するため、1976年司牧の任務からカリスマ刷新担当司祭にグラシアス枢機卿に任命されたとのことです。1978年コルコタで開催されたFABC (アジア司教協議会連盟)の会合で、3人のカリスマ刷新のリーダが招かれて毎日の祈りを担当したときのこと、浜尾司教が近づき「ルフォ、あなたは非常にバランスのとれた、素晴らしい司祭だと思ってきたのに、どうしてカリスマ刷新のマニア(熱狂者)になってしまったんだ」と司教からからかわれた。しかし3年後、同級生たちが中央インドのナグプールで叙階25周年の記念をするために集まったとき、35名の同級生皆をあわせてもルフス神父ほど神の国のために働くことができないと認め、このまま司教になるよりも、司祭のままカリスマ刷新の使徒職を続けるようにと同級生の司教・大司教・枢機卿たちから司教にならないようにと祈られたのでした。同級生で司教にならなかったのはルフス神父と鷹嘴神父だけでした。このとき、アジアの各国の司教は、司祭黙想会にルフス神父を招くと約束してくれて、ほとんどその招きに応えて各国を訪問できたとのこと。松永司教様もルフス神父に黙想会の指導に来るように願われたこともあり、これが日本に来る決意であり動機でもありました。

 司教になれなかったのは祈りのためだけでなく、ルフス神父は、わたしのモデルはアルスの聖人ヨハネ・マリア・ビアンネです。16年間小さな教会の主任司祭をしていました。わたしはおとなしく静かな性格で司教には向かないと教区長からみなされていました。それは私にとってしあわせなことでした。司祭の使命を十分に果たしているからです。叙階25周年のとき、叙階50周年のときも、アルスの村の聖ビアンネの教会で個人黙想をして過ごしました。今もビアンネはわたしの司祭職のモデルですと私に話してくださいました。

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