マラナタ 主よ 来てください!


畠神父


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 家族葬

 池田教会

 7月14日 朝 8時16分 マリア・アグネス 鼈甲屋ハナ様 生駒病院にて帰天。
 大正6年生まれ、 平戸の紐差教会出身 93歳

 通夜   14日 午後7時
 葬儀   15日 午後2時 ~ 3時

 家族だけの通夜・葬儀を執り行いました。
 2年前に池田教会に大和高田教会から転入、池田市民病院に入院し病状重く
 臨終前に葬儀の相談に息子さんが池田教会に来られたので、さっそく病院へ
 出かけて、病者の塗油の秘跡をお授けしたところ、奇跡的に意識を回復、
 その後2年間入退院を繰り返された。
 「十分に親孝行ができて思い残すことはありません。
  遺言は、静かに教会で葬儀してほしい。」(息子さんのことば)
 生前信仰深く、90歳までは自分で教会に足を運び、熱心に祈りをささげていました。
 最後は、静かな安心したお顔で御父のもとへとマリア様に抱かれて旅立たれました。 

 アレルヤ アレルヤ 
  天と地の主である神は 
          たたえられますように。
    あなたは神の国を
          小さい人々に現してくださった。
                アレルヤ アレルヤ
         
 通夜1
暁の鐘からゆべの鐘まで
 1898 (フランシス・ジャム 1968~1938)
神様
 あなたは わたしを人界に呼び出しなされた
   それでわたしは参りました。
 わたしは苦しみ わたしは愛します。

 あなたが下さった声で わたしは語りました
  あなたが父と母にお教えになり
 両親がわたしに伝えた文字で わたしは書きました

 わたしはわたしの道を行きます
 子供たちに冷笑されながら
 首を垂れて通る重荷を背負った驢馬のように

 神様の御都合のよい時
 わたしはあなたのみこころのままのところへ参ります
 み栄の鐘が 鳴りまする。


あまりに美しい詩だと ある信者さんがわたしに送ってくださった。その方は もう20年近く教会から遠ざかっておられる。私は詩は分からないけれども、人生の晩年、誰からも理解されない道を自分の道として歩む覚悟ができた諦観。強い芯のしっかりした人の詩のようです。・・・信仰者のあるべき姿だと送ってくださったのだけれど・・・

 迫りくる死、人生をすべて受容し、ゆだねきった者の姿。わたしにはこの詩には、それよりも神への恨み節と神への信頼の葛藤があったのだろうと思われます。事典では、フランシス・ジャムは、1905年にカトリックに改宗し、その後は、宗教的な雰囲気に満ちた詩を書いたようです。詩は1898年の作です。信仰へ至る道なのです。

 わたしは、もっと直接的な礼拝の精神を表現したい。
 次に書く祈りはある有名な枢機卿の祈りです。

聖霊への祈りを書き送ります

 わたしの魂の魂である聖霊 あなたを礼拝いたします。
 私を照らし、導き、強め、慰めてください。
 御父のみ旨を果たすすべを教えてください。
 あなたのみ旨をどうぞ私にお知らせください。
 お望みになることを、わたしはすべて果たし、
 あなたのおゆるしのもとに、
  わが身に起こる事柄をすべて、お受けいたします。
                 アーメン

『病人と悩み苦しむ人々への奉仕に一致して留まってください』(神の聖ヨハネ遺言)

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