マラナタ 主よ 来てください!


畠神父


<< 北摂司祭修道者の集い 新年会 | main | みことばと祈りの集い (ともにさがす会企画) >>

 1月15日 年間第一木曜日

主はわたしを支えてくださる。 わたしを心に留めて救い出し、
 自由の地に導いてくださる。(詩篇 18・19~20)

集会祈願 聖なる父よ、あなたはキリストによってわたしたちをあがない、神の子どもとしてくださいます。あなたの愛を受けた民を顧み、御子を信じる人々に、まことの自由と永遠の喜びをお与えください。聖霊の交わりの中で・・・

第一朗読 ヘブライ人への手紙 (ヘブライ 3・7~14)

  聖霊がこう言われるとおりです。
 「今日、あなたたちが神の声を聞くなら、・・・こころをかたくなにしてはならない。・・・」(詩篇95引用) あなたがたのうち誰一人、罪に惑わされてかたくなにならないように、今日という日のうちに日々励ましあいなさい。・・・

答 唱  主に向かって喜び歌い、感謝の歌をささげよう。(Ps95)

アレルヤ イエスは神の国を告げ知らせ、民の病をいやされた。

福 音  マルコによる福音 (マルコ 1・40~45)

 イエスのところに来てひざまずいて願い、「み心ならば、わたしを清くすることがおできになります」と言った。イエスが深く憐れんで、手を差し伸べてその人に触れ、「よろしい。清くなれ」と言われると、たちまち重い皮膚病は去り、その人は清くなった。
「み心ならば・・・ あなたが望むなら」 「望み」は霊的な進歩には特に大切でしかも識別(ふるいをかける)しなければならない。「神の望み」と「わたしの望み」の対話が必要です。イエスは神の望みを告知して、「神の国」の宣教を中心に置く。わたしたちは、力ある業、しるしに目がいく。そして私にはもう目をかけてくださらないのかと神の望み(愛)を信じきれなくなり、心がかたくなになります。

 神は聖なる方、今日の典礼では、「聖なる父よ」と呼びかけます。「聖」は神であることのあかしと言ってもよいような神の本質を構成します。聖は善そのものなのです。「善き神、善き父」この方を疑ったら何を信じたらいいのでしょうか?イエスは「神の聖者」だと悪霊から断言されます。悪魔は死を司る者と呼ばれます。絶えず誘惑する者です。
 
 イエスの望みは神の望みと同じ・・・「神は、すべての人が救われて真理を知るようになることを望んでおられます。」(1テモテ2・4)

このページのトップへ