マラナタ 主よ 来てください!


畠神父


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 神の母聖マリア ( 祭日 )

光は、今日わたしたちの上に輝き、救い主が生まれた。
その名は偉大な神、平和の君と呼ばれ、その国は終わることがない。
(入祭唱)

 集会祈願: いのちの源である神よ、あなたはおとめマリアを御子の母として選び、救い主を人類に与えてくださいました。聖母を通して御子キリストを迎える私たちに、救いの喜びを味わわせてください。
 聖霊の交わりの中で・・・



第一朗読 民数記 6章22~27節
 彼らがわたしの名をイスラエルの上に置くとき、わたしは彼らを祝福するであろう。

第二朗読 ガラテヤ 4章4~7節
 あなたがたが子であることは、神が、「アッバ、父よ」と叫ぶ御子の霊を、わたしたちの心に送ってくださった事実からわかります。

福 音  ルカ2章16節~21節
 八日たって割礼の日を迎えたとき、幼子はイエスと名付けられた。これは、胎内に宿る前に天使から示された名である。


 奉納祈願では、すべてはあなたによって始まり、あなたのうちに完成します。アルファでありオメガであり歴史の主である全能の神の救いの計画に思いをはせます。そして、聖母のうちに始められた救いのわざを祝うわたしたちが、その完成の喜びにもあずかることができますように・・・と祈ります。主の降誕8日目を祝い、「イエスと名付けられた」と聖マリアが「神の母」という称号のもとに祝われる今日の典礼、エフェソ公会議(431年)で宣言されたことに由来する。キリストの誕生の秘義においてマリアが果たした役割を思い起こす日として選ばれました。

 世界平和の日のメッセージが今年も発布されました。中央協議会のホームページからダウンロードできます。「貧困と闘い、平和を築く」をテーマに教皇ベネディクト16世は、先の教皇ヨハネ・パウロ二世のことばを引用しながら、「貧困とその道徳的な意味」について考察されています。http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/doc/peace/09peace.htm


 イエスという名は、ヘブライ語でヨシュアの短縮形で Jehoshu'a
でこれは Yahwehを意味する Yah (Ya) とhoshu'a が一語となって「主(ヤーウェ)は救う」を意味し、天(天使)から与えられた名前
です。名前は、聖書では、人生の使命を授かるのと同じ意味合いがあり、アブラムがアブラハムに、ヤコブがイスラエルに、シモンがペトロに、サウルがパウロに変えられたとき新たな使命を受けた召命、アイデンティティでもあります。ヤーウェの名の啓示は、出エジプト記で3章7-8、15節 と 34章6節で出てくるが、これは神のアイデンティティでもあり、神、主があわれみの神であることをご自身で約束されたことなのです。その同じアイデンティティはイエスにおいて、その生涯のことばと行いにおいて解き放たれる。わたしを見たものは父を見たのだ・・・イエスは父をアッバ お父さんと呼ぶのは、イエスの父だからだけでなく、父の御性質がアッバ、お父さんと呼ぶほど親しく近い方だからであり、子供のためにご自身を忘れるほど子煩悩なお父さんなのだということ・・・ところで 使徒たちが、イエスの名を呼ぶのは 復活された方が「主」であったことを啓示されたからであり、あのお父さんの目に見えない姿の目に見える顔となられた方なのです。最近のシノドス会議の報告書は、このことがよく書かれています。ご公現の日にこのことをもう少し書いてみましょう。

 今日は 1月1日、 真夜中のミサと朝11時のミサ、真夜中には13名の方がこられ、朝11時は、100名位でしょうか・・・ 世の中の神社仏閣が参拝客にあふれているのにキリスト教会は静かにゆったりとこの日を迎えます。救いの計画が始まり、最後まで神の御手のなかにあり、完成の日に喜び祝えるように私たちの心も日々新たにしていただくように祈りましょう。

説教のポイント:

 
 新しい希望を自らのアイデンティティの考察から始め、今年一年の目標を定めましょう。
 教皇のメッセージ「貧困との闘い、平和を築く」
 池長大司教のメッセージ「信徒奉仕職のさらなる発展とキリスト者としての成熟のために キリストのことばにとどまること・・・」
 池田・日生中央教会の兄弟教会の交わりを深め、北摂8教会の大会に向けて、若者たち、また奉仕者となるために 堅信の秘跡の準備と理解と実践を考えたい。 高齢者・病人が増え司祭の活動だけでは十分な奉仕をすることができないと感じております。今臨終を迎えている方がいて、祈りのおかげで少し回復したのが幸いですが、それでも両教会で数えると24名の病人をわたしは訪問しており、葬式がいくつかはいるともう説教を考える暇もありません。この新年の説教を考えることができませんでした。どうか皆さん助けてください。


教皇ヨハネ・パウロ二世のことば・・・
「わたしたちの世界もまた、平和に対するもう一つの重大な脅威である事実が増大しつつあることを示しています。個々人の多くや実にすべての人々は、今日、極端なまでの貧困状況のうちに住んでいます。貧富の差は、もっとも経済的に発展した諸国においてさえも、いっそう著しくなっています。これは人間の良心が無視することのできない問題です。というのは、大多数の人々が住んでいるそのような状況は、彼らの尊厳に対する侮辱であり、またその結果として、世界共同体の真の調和的な進歩・発展に対する脅威となっているからです」(1)。

教皇ベネディクト16世・・・
「教会の社会教説は常に貧しい人について述べてきました。回勅『レールム・ノヴァールム』の時代に、貧しい人とは、おもに新しい産業社会における労働者のことでした。ピオ十一世、ピオ十二世、ヨハネ二十三世、パウロ六世、そしてヨハネ・パウロ二世の社会的教導職の中で、社会問題の射程が世界的な規模になるにつれて(16)、新たな形の貧困が次第に探究されるようになりました。このような社会問題の世界的規模への拡大を、単なる量的な拡大と考えてはなりません。むしろそれを、人間と人類という家族の必要に関する理解の質的な成長と考えなければなりません。ですから、教会は、現在のグローバル化の現象と人間の貧困に対するその影響を注意深く考察しながら、社会問題に関する新たな観点を、その広がりだけでなく深みにおいて指摘します。すなわち、それが人間のあるべき姿と神との関係とかかわる限りにおいてです。この社会教説の原則は、貧困とグローバル化のつながりを明らかにしようとするとともに、平和を築くための行動を導く助けとなります。こうした原則の中で、特に「貧しい人々を優先的に愛すること」(17)を挙げるのは時宜に適っています。それは愛のわざが第一の務めであることに基づきます。この原則は初代教会から始めて、教会の伝統を通して見られるものです(使徒言行録4・32-36、一コリント16・1、二コリント8-9章、ガラテヤ2・10参照

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