マラナタ 主よ 来てください!


畠神父


<< 信徒奉仕職 第四回 | main | 11月18日 聖ペトロ聖堂・聖パウロ聖堂 >>

 池田教会 待降節準備黙想会 11月16日

待降節を迎える心の準備のために大阪教区の松本神父様をお招きしました。

黙想指導 松本武三神父 (甲子園教会主任)

テーマ  待降節のための黙想会
 takezou
スケジュール
ミサ  9:00 ~ 10:30

ミサの始まり:聖堂のしずけさの必要について

こどもに質問して、体が病気になったらどこへ行くのか? 病院へ? 心が悪くなったらどこへ行くのか? 神様のところ? イエス様のところ? 教会の聖堂はイエスさまのおられるところ、皆さんのこころを見せに来るところです。みんな一人一人神様の声を聞くように静かに自分の心を開くのです。そのために沈黙と時間が必要です。


説教の大筋:最近は、人を裁くことが多くなり、「憐れみのこころ」が少なくなっている。教会は「あわれみのこころ」「福音の心があらわになるところ」と心得て共同体を形作る。

講話  11時 ~ 12時

講話の大筋:

 ゆるしの秘跡

 よく聞いていたはずですが、あまり覚えていないのでいくつかのポイントだけを書きます。 もう少しお待ちください。
松本武三神父 講話の大筋
スケッチ
聖母子像の説明:
 信仰は流れを変える。人生の別れ道があります。  
 昔の峠の風景、分かれ道 お地蔵さんがたっている。安全を願う。一年の最後、一年間の信仰生活を振り返りながら新しい年も神様が導いて下さるように・・・ 黙想会は、やはり、ゆるしをいただいて帰ることができればしあわせです。

カトリック教会には、秘跡がある。ゆるしの秘跡について・・・クリスマスを祝うのは、復活を知ったからです。十字架と幼子の関係が分かりますか? 落ちこぼれたわたしを拾ってくださる神のありがたさを知る人の祝いがクリスマスなのです。(ライト モチーフ です。)


 ヨセフに呼びかけた天使が語った言葉「インマヌエル(神が共におられる)」赤ちゃん。あなたと一緒におられる。一緒におられる。 信仰は、自然体になる。結婚して妻は空気のように親しんで一緒にいるので、いなくなると困る。
私たちには神様を尊敬するこころが育っているか。ええ、空気のようなので神さまを忘れている?自分自身のことを言えば、(ミサをして)罪の赦しをいただく御血は飲みやすい。ゆるしの秘跡は、やりにくい。赦しの秘跡をあまり受けないのは、司祭として恥ずかしいと感じています。西宮のシスターたち、カルメル会の司祭に一週間に一度ゆるしの秘跡を受ける。司祭は赦しの秘跡を受けない、なかなかしない現実がある。シスターたちは囲いの中で暮らしている。豊かに迎える人たちです。わたしはパンは食べやすいが、ごめんねと言うのはいいにくい。ごめんね!といいにくいのは、水臭い感じになっている。ごめんねと言えるそうした親しさが育っていない。今日、黙想会をしたのはいいことです。

松下さん、どうしてクリスマスを祝うようになったか?知っていますか? (いいえ)クリスマスを祝うようになったのは、復活したイエスを体験して、鶏を鳴くまえに、裏切り、ユダは、十字架にかかる前に首をつってしまった。 生活の中でがっかりしているのは、あのイエスはそばにいて下さるという思いがでてきた。そういう思いを単純な神秘が分かってきた。イエスさまがいて下さるのがありがたく、それが分かった人がお祝いするようになった。

大阪の町にはいっぱいクリスマスの飾りがある。習慣のようになっている。しかし、クリスマスツリーは命の木。クリスマスは、こころの魂に火がつけるために神様がくださる命の木です。
 
反対に、エデンの木、このツリーから生まれてきた子どもは兄弟殺しです。エゴが出てくるときに知らないところであなたは死んでいる。あの神様からクリスマス物語の羊飼い、三人の博士が生まれた。あなたはクリスマスの飾りはだれからいつから定着したか知っていますか?アシジのフランシスコからですよ。当時の教会の様子は、立派な聖堂が立っている割には信仰がうすくなっていた。アシジのフランシスコは、自分たちの原点を馬小屋だと考え、神様は一番ふさわしいのは馬小屋、家畜と人間のような関係、家畜は人間のために生きる。奴隷は使われて殺されてしまう。イエス様は、どうでしょうか?生まれて、罪をゆるし、病気をいやし、嫌われる。イエスと家畜は似ている。

お仕えする心をとりもどす時、お仕えするこころが今育っていない。
お年寄りは、みな病院に入れている。認知症の人、弱くなっている人を家族は守れない。お金が入ってくると家族を守れない。お年寄りを世話するこころがなく、愛情が育っていない。どんなに哀れになっても、その人を喜び育てようとしている。世界で有名になった人、道端で死んで誰からも見捨てられている人を、マザーテレサは、喜んで世話をした。自分に納得できない。お互いによくしてファミリーです。相手がだめでもしょうがない家族は一緒にいる。理由を聞かない。最近のお母さんは殺している。相手を殺して自分が生きている。難波のネットカフェー、死にたくなって火をつけて何と自分が生きている。一家心中して死のうとするが、怖くなって手首だけとか・・・真剣に人生を生きることを考えない。

今のクリスマスはショーです。待降節がないクリスマス。形式というものも大事ですよ。確かに、形が必要です。クリスマスのために飾って下さい。マリア・ヨセフ 待降節 馬小屋を飾って下さい。クリスマスにイエスを迎えるために ・・・ 馬小屋を飾るけれども、家庭でクリスマスを迎えるとはどういうことなのか?。
教会で、家族皆イエスを迎える。 わたしたちのお家はひとつまちがえば不幸のどん底に陥る。

相手は自分が悪くなっても愛情を取り戻すこと。馬小屋 =仕える家、家畜は馬小屋に入れられる。自由になれるところ。馬小屋は自由にできるところ。奴隷の動物が憩える場所が馬小屋で、だからこそ、神様が唯一憩える場所だった。 飼い葉桶、動物の食物。人間に力をあたえる食事は、やさしく愛情をもつエネルギー 本物にしていくためにイエス様を迎えるのではないか?

クリスマスの物語をこどもたちに聞かせながら自分も整理される。意外と気づかない世界もがある。クリスマスは復活を体験した人が祝えるお祭り。神様だけなら罪をゆるしてくれるが、あんな人がと人間は絶対裁きます。そういう人を丁寧に迎える、そんなクリスマスがあればいい。失敗が許されない世界、エリートほどそういう世界が広がる。

宗教は廃れないのは人間が神様だけはこんなあわれなわたしを元気付けて下さる。信仰をいただいていることによりありがたく思える心を育てて生きましょう。

<司祭としての反省>教会は 聖体拝領する人は多いが、ゆるしの秘跡を受ける人は少ない。自分で始末して処理しているのではないか。倒れたら病院へ。自分でいけないなら ゆるしの秘跡。 頭がさえている、からだは悪い、介護の人に下の世話まで受けて、介護の看護師にあわれな姿をさらす。対等に付き合える世界はもはやない。お嫁さんはお母さんの世話をしたくない。家族は早く出て行って欲しい。正直に、そんな強くないから、うらまず相手に声を聞くゆとりがあったら、あなたの信仰を教えてください。

一年間の典礼を通して わたしに教えて下さい。あかしすること。イエスさまがエマオへの道の二人に話しながら、そばにいる。教会の信仰は、信仰の神秘です。イエスのことを思い出したら目に見える普段の出来事の中に神様がいるという世界です。霊性 - イエスキリストを通して与えられた福音がどのように受け止めわたしの日常生活の中で生きるのか? 待降節こそ、その時、インマヌエル(神は私たちと共に)わたしの神様は、身近で、慰められ、共に歩んで下さっていると単純なこころで信じ、罪があるいは虚栄心とか自分の思いが強ければ強いほど相手のことを思い出して、安心する。主の十字架 の恵み、主の祈り、ちょっとしたことで安心できるわたしに向かって歩んでいける・・・ 教会にきてくださる。

<信者> 神父の聖体の秘跡に感謝できる。人間的なことが多い。ご聖体が口に入っても人間の出会いが多い。沈黙して心から味わうことはそんなにやさしくはない。 病院にいる患者は一人で孤独なとき看護婦を呼ぶ、医者を呼ぶ、疲れているし・・・私のお父さんも、亡くなるとき、子どもは男5人で、お父さんの世話をしていた。いって泊まることがあった。寝ていたら トイレやと呼ぶ。「もうちょっとまってよ」と言うと、「いつかお前も分かるはず。」・・・多くの場合はわかる。それに耐えられるか?孤独に耐えるか、孤独をいやされる。イエス、マリア、聖人たちの家族、わたしたちも学ぼうとしている。小さな動作で 自分のしていることができる。車の運転手、警察を見たら「はっと」する。ともにいない。警察は、祈りの保護者、心の目は方向を見る。何らかの形でみている。信仰生活で

タラントン (今日の福音)聖書のことばを預かっている。聖書の中にすべてのエネルギーがある。聖書の中から生きている力がある。いいなという言葉を見つけていますか?聖書を読んでも響かないですか?一番好きなのは平日のミサです。12~3人 「朝の祈り」6時半、感じたことを一言いう。一番のいやしになる。学校じゃ、30分以内で終わる。淡々とするなかで自分を養っていただいている。自分でみつけていかなければならない。聖書のことばから力をいただく信者、聖書を書いたイエス様 尊敬できる神様 聖書を尊敬できるために丁寧に読む。ミサの中で、読まれる聖書は一番丁寧に読む。相手を尊敬すればするほど分かってくる、悪いことしているならば飾らない。自分をとりもどす。相手を立てる。相手より自分を立てる世界から違う。小倍では、尊敬していなくても丁寧に言う。

劣っていても丁寧に言う 神様にゆるしの秘跡をいうのは、あの神父には恥ずかしい、 自分より劣っている人に告白する。相手と付き合える。ぐうたらと付き合う。あんな奴と 化粧しない付き合いが始まる・・・ よく内面で笑って付き合える。生活の中でしていけるように頑張りなさい。

 待降節 プリント参照 - 課題 -どんぐり 
善き牧者のシスター(豊中):仙台にいったとき、列福 11月24日 司祭としてやっていけない罪を犯して、失敗していくことによって司祭にならしてもらっている。ありがたい。ゆるしの秘跡は相手を軽蔑することを許していただける式、ゆるしの秘跡を受ける。 父と子と聖霊のみ名によって、赦される。それからも交際できる。一人の司祭がやめるとき、それは辞めなければならない理由があり、司祭は、それを大事していければ、よい。誇りが持てる、あなたの役割をさせてもらえる、ありがたい。20歳のとき、聖書がすばらし。今の私のほうが聖書は素晴らしいと思うが・・・。こころの末広がりとのバランス それをきれいにした人はイエス。マリア萎んでいく中で、しあわせだなと思える。頭を下げて見下す。あなたに触れたら死んでしまうがあなたが触れて下さるからありがたい。それをするのがミサです。
今日の希望的小さな出来事は、三人の博士幼子を拝みに来たが、どうして幼子イエスと十字架は一緒と考えられたのか?キリスト様とわかったのか? いまキリストとわかったのは あなたの信仰だった。おなじ心だった あの人はクリスト様だ。ハンディをもっている人が多い。ナザレのイエスがキリスト様だとわかった。汚れた女 この人がわかった。 あなたは、この人は、涙で足を拭ってくれている。多く愛したものは多く許される。見えるものの中に見えない神を見る。見えない日常生活でイエスを迎えてわかったように、神のありがたさ、その思いをもてる私であるように・・・そういう心を お互いに新鮮な心を持ち寄る。毎日したらいい。こういうとき恵みなのだと・・・右の頬を打たれたなら左の頬を差し出す。旅行者と一緒に残れるなら、お土産屋さんで、聖ヨセフのこと思い出します。暗い心の闇に神様の光をいただく。告解上の一番悪い罪を簡単に短い一言で話してください。 

最近は、聖霊そして聖人の名前を呼んでいない。 洗礼名を心に思い起こし一日一回は聖人の名前を呼んでみる。毎日したらいい。わたしの洗礼名は、ラファエル、姫路のマリア病院に入院しているとき、「聖母のシンフォニー」の著者で福岡教区の鵜野神父さまが 胃潰瘍で入院してきた。 洗礼名を考えているとき、神父様の名前を聞くと、天使ラファエル、名前は、天使、神の薬、だったので いい名前でいやしの天使であることが気に入りました。信者生活は、洗礼名をよぶことで始まる。ラファエル 一日一回は洗礼名を呼んでいます。

以上の講話(大要)を記憶に残ったところを打ち直してみました。広報のノートにはポイントだけが記録されています。

 講話のポイントあれこれ:

*1日一度自分の洗礼名の聖人に祈る。
*最近は、人を裁くことが多くなり、「憐れみのこころ」が少なくなっている。教会は「あわれみのこころ」「福音の心があらわになるところ」と心得て共同体を形作る。
 ・イエス様は、決して裁かないで許してくださる。
 ・「ごめんね」が言える心・場所が必要では・・・
*クリスマスとは、イエスさまの復活を体験した人たちの喜び・祝いを改めて思い出す行事です。
 ・弟子たちの挫折を悔やむ心:ユダは十字架に掛かられる前に首をつって死んだ。
      :ペトロは何度も逃げた:他の弟子も皆逃げ出した
 ・裏切った”私”をイエスさまは、いつもそばで見守ってくださる

コメント:落ちこぼれたわたしを拾ってくださる神のありがたさを知る人の祝いがクリスマスなのです。

*教会の信仰とは、いないけど、いる。見えないけど、見える。だから安心。 単純な動作に安心できる信仰

ゆるしの秘跡への回帰:もし、教会へ来られないときは、教会へ来た時と同じ状態になれるように。
 たとえば、十字架のしるしをする。イエス様マリア様のご絵を見て安心する。等 *家族とは、相手が悪くなっても耐えることができるようにと、メモに書いていますが、果たして正しいのか?自信がありません。

このページのトップへ