マラナタ 主よ 来てください!


畠神父


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 サムライの如く - トニ・グリン物語 -

サムライ 故トニ・グリン神父様の実弟パウロ・グリン神父により著された本です。オーストラリアと日本との和解と平和の橋渡しをされた偉大な宣教師の魂の物語を生い立ちから、先祖、家族、交友関係など詳細に、実弟であるパウロ神父だからこそ書き上げることのできた偉大な宣教師の生涯のエピソードをつづった人物伝です。トニ神父様の人柄と司祭職の在りし日の姿がよく分かります。本の原題「Like a Samurai」は、最終章の書かれている最期のお姿からとられたものです。神父様は、末期癌のお体で入院中にもかかわらず日曜日には教会に戻り、神父様は信者のためにミサをささげておられました。その日は、いつものようにミサを始められましたが、途中で香部屋に戻り倒れられ、翌日天理病院へ運ばれましたが、ヘモグロビンが通常の三分の一しかなく、癌が進行して体内出血が始まり肺に血がたまり呼吸困難となりました。血を抜くために管が差し込まねばならないとトニ神父に告げられた時、もうこれ以上命がないと分かり、6人の医療スタッフ一人ひとりに名前を言って「ありがとう」と感謝と別れの挨拶をして絶命されました。パウロ神父様はすぐに遺体を引き取って教会に運び、トニ神父様の祭服を着せ、そのまま教会の畳に安置されましたが、血が祭服からにじみ出ていたお姿が、十字架のイエスと同じ姿で、ある信者さんは「侍のように主君イエスとその民のために最後まで闘い、討死したかのように」感じたそうです。「そのために本の表題を決めました。兄の生涯そのものを言い表しているのです。」パウロ神父様に面会した折に伺いました。

 トニ・グリン神父様とは、1983年奈良に叙階後最初に赴任したときに会いました。聖性にたいする熱い思いを持っておられ、当時CCR(カトリック・カリスマ刷新)司祭黙想会の幹事役で、諸外国から指導司祭を呼び、また国内の司祭を黙想会に勧誘することをしておられました。わたしが初めて参加した司祭黙想会、わたしはマリスト会のご厚意で無料で参加できましたが、1983年叙階を受けた年の秋のことでよく覚えています。そのカリスマ司祭黙想会は、毎年三田にある関西大学セミナーハウスで行われ、その年は、シスターブリッジとサリバン神父指導の黙想会だったので120名の司祭が集まりました。その後、司祭黙想会は、トニ神父様の死後、次第に参加者が減少し、2006年には中止を余儀なくされました。司祭黙想会の担当は、ライル神父帰国、ウィックス神父死去、ケビン神父帰国などもはや誰も担当する人がいなくなりました。カリスマ刷新の日本での普及は、偉大な宣教師たちに依存してきたため、誰を呼べばよいのか手探りの状況ですが、先人の志を受け継ぐべくわたしが担当することになりました。今年の司祭黙想会は、往年の盛況ぶりとは比較にならないほどのさびしい参加者で、シスターや一般の参加も含めて、わずか18名でした。来年に司祭黙想会を企画することもできない状況です。

トニ神父様 どうかわたしたち司祭のためにもとりなしてください。

本は、こどもの里・グリンファミリー発行 で収益金のすべては子供の里に贈られます。
発行所 こどもの里
〒557-0004
大阪市西成区荻野茶屋 2-3-24
TEL/FAX 06-6645-7778

著者 パウロ・グリン神父
1928年生まれ、1955年来日、22年間奈良を中心に宣教活動を行う。
山田無文研究など仏教を通して日本文学・日本文化の造詣を深かめる。オーストラリア帰国後は著述活動に従事し、本から得る収益はアジアの恵まれない子供たちのために贈り続けている。

おもな著書
長崎の歌 (A Song for Nagasaki ) 1989年12月
蟻の街の微笑み (The Smile of a Ragpicker ) 1995年6月
癒された人々 ( Healing Fire from Frozen Earth) 2001年11月
和解 (The Wayside Stream Reconciliaton) 2004年11月
 

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