マラナタ 主よ 来てください!


畠神父


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 10月19日 十字架の聖パウロ 御受難会固有 祭日

十月十九日 十字架の聖パウロ 
イエス・キリストの御受難の男女修道会創立者 祭日

 パウロ・ダネオは1694年、イタリア・ピエモンテのオヴァーダに生まれた。若い頃は父の商売を手伝った。十字架のイエスの模範に従うようにという神からの呼びかけを受け、1720年修道士となり、苦行と使徒職に自らを完全に捧げた。ローマで病者の世話に従事する一方、教皇ベネディクト十三世により叙階された。その後モンテアルジェンタリオの隠遁所に弟の司祭ジョヴァンニ・バブティスタ(尊者)と共に引きこもり、神からのインスピレーションを受け、御受難修道会を創立した。御受難修道会の第一の目的は、主の受難と死を黙想し宣べ伝えることにある。彼はまた、同じ目的の観想修道会として、女子御受難修道会を創立した。疲れを知らない十字架の説教師であり、修道会の傑出した長上、償いと観想の卓越した模範、優れた霊的指導者として十字架の聖パウロは、18世紀の偉大な神秘家と考えられている。ローマにて、1775年10月18日死去。

賛歌

十字架の聖パウロ、天から私たちを見てください。
私たちはあなたの偉業をたたえる。
天の国の冠のために励む者たちを
あなたの模範によって導いて下さい。

輝く光によって、
あなたの誕生が告げられた。
少年のあなたは
聖母の手によって、急流から救われた。

あなたの忠実な心に
愛がイエスの名前を刻みつけた。
イエスの勝利の印を付けて、
あなたは生涯を神のみにささげた。

水を求める鹿のように十字架に駆け寄り、
孤独の恩恵を飲む。
神の御旨が行なわれるために。

断食はあなたの友、
渇きと寒さはあなたに連れ添った。
真夜中のヴィジョンはあなたの霊を目覚めさせ、
天はあなたの心に休みを与えなかった。

喜びの心の戦士、
あなたを呼ばれた方に従い、
あなたはもう一人のキリストになり、
あなたの生涯はもう一つの受難となった。

全世界を統べたもう聖三位は賛美されますように。
わたしたちの保護者十字架の聖パウロを通して、
天の家の門へと導いて下さい。
アーメン。

神のことば エフェソ3章8~12節
主の福音に仕える恵みは、聖なる者たちすべての中で最もつまらない者であるわたしに与えられました。私はこの恵みにより、キリストの計り知れない富について、異邦人に福音を告げ知らせており、すべてのものをお造りになった神の内に世の初めから隠されていた秘められた計画が、どのように実現されるのかを、すべての人々に説き明かしています。

答唱 
先 わたしたちはキリストの奉仕者。
答 神の国を告げ知らせる。
先 主の御受難と十字架を宣べ伝え。
答 神の国を告げ知らせる。
先 栄光は父と子と聖霊に。
答 わたしたちはキリストの奉仕者。
  神の国を告げ知らせる。

結びの祈願
聖なる神よ、あなたは創立者十字架の聖パウロにイエスの御受難を宣べ伝えるすばらしい愛の霊をお与えになりました。聖人の模範と取りつぎに支えられて、私たちが出合うすべての人々に、救いの神秘の喜びを分かち合うことかできますように。
賛歌(読書課)

十字架の聖パウロのすばらしい愛の火は
暗闇に隠されることがなかった。
世界中にみことばを宣べ伝えるよう
彼は天からの命を受け、
みことばの使者として、
ゆだねられた任務へと急いだ。

パウロの教えによって、
人々はキリストに従いたいという願望に満たされた。
人々は心と魂に傷を受けた主に共感し、
さめざめと涙を流し、回心した。

彼らのいのちを神の審判に備えるため、
パウロの愛の力は彼らの固くなった心を貫いた。
以前、悪の思いが荒れ狂った心に、
いまや聖なる思いがわき出る。

悪魔はこの説教者を欺こうとしたが、
無益だった。
試練が襲う時、
パウロはより激しく戦った。
攻撃を負かした時は、
主の聖なる場所に彼の軍勢を導いた。

聖三位一体は、この心の高貴な僕を高く上げられた。
地も海も空も
父と子と聖霊の神をほめたたえよ。

私たちをパウロのあとについて行かせて下さい。
アーメン。
第二朗読
十字架の聖パウロの手紙より(手紙1,pp. 296, 315, 335)

私は 私の神をより一層愛したいという望みで燃え上がっているように感じます。

 私はあなたに、いくつかの重大なことについて話したいと思います。しかし、愛さない者は愛について話す術を知りません。愛について話すのに必要な言語は、愛からしか学ぶことが出来ません。愛すべき聖なる方に聞き、教えてもらって下さい。私は愛のために燃え尽きて灰になってしまいたいと思います。しかし、愛についてどのように話せばよいのかわかりません。言い表したいのですが、どのようにすればいいか分かりません。私の偉大な神よ、私に言うべきことを教えて下さいますように。私は愛によって燃え上がるものすべてになりたいとますます望んでいます。愛のかまどの中でどう歌えばよいのかを知りたいのです。また、永遠の愛である方が あなたの霊魂に与え下さった大いなる憐れみをどのように賛美すればよいか知りたいと望んでいます。
  
 娘よ、あなたのあわれな無価値な父が、娘に与えられた偉大な恵みの故に神のうちに喜ぶことは、ふさわしいことではないでしょうか?そうです、ふさわしいことです。けれど どのようにしたらよいのかが私には分かりません。そうしたい、しかし、ただどのようにしたらいいのかが分からないのです。何と言えばいいのでしょう?「神をもっと愛したいという憧れで十字架にかけられたいと望んでいます」とでも言いましょうか?たったそれだけではありません!その愛によって完全に燃えつくされたいと望んでいますとでも言いましょうか?たったそれだけではありません!ではなんと言えばいいでしょう?死の終りなき悶えの苦しみのうちに一生すごしたいと望んでいますと言えばいいでしょうか?これで十分に言い表したことになると思いますか?いいえ、決してそうではありません!まだ言い足りないのですが、どのように言えばよいのか分からないのです。しかし私は次のように、少しだけ満足することができます。私たちの偉大な神は限りなく善い方なので、その偉大さに値するほど誰も十分に賛美することができず、また、愛することができないのだ、という事実を喜びながら。神はご自身を無限に愛しておられるので、私は喜んでいます。神はご自身のうちに本質として祝福を備えておられるので、誰も必要とはされないのですから私は幸せです。

 しかし 私は愚かです。蛾のように愛の炎の中に自分自身をすっかり投げ込んでしまったらよいのでしょう。愛の静寂の中で、灰に変えられ、姿はなくなり、聖なる〝すべて〟である方のうちに消え失せるのです。しかし、それは愛の業です。自分の罪深さのゆえに、愛の結果であるこのような祝された喪失の状態には置かれません。実に、あなたのあわれな父は飢え死にしかかっている時、あなたは食卓についているのです。すばらしいことです!あわれな父親がたった一切れの固い黒パンを飲む物もなく食べているとき、その娘は宴にあずかっているのです。忘れないで下さい、私はすっかりひからび、川でさえも私の渇きをいやすことができないほどです。もしできるなら 私は大海をのみ干さねばならないほどです。けれど私が飲みたいのは炎の海です。愛の海なのです。このことをあなたの聖なる花婿に申し上げて下さい。昼も夜も彼と共に留まり、私たち二人のために好意的なご返事を頂けるまで、祈り続けて下さい。
 私たちに近づくすべての人に火が燃え移るほど私たちが愛の炎で燃えていればと願います。私達の隣人だけでなく、全く見知らぬ人々も、あらゆる民族、あらゆる言語、あらゆる国の人々、一言でいえばすべての被造物に愛の火が燃え移り、すべての人がいと高き神を知り愛するよう願います。
 福音はこう云っています、もし一粒の麦が地に落ちて死なないなら実を結ばないと。しかし死んで実を結ぶよう定められているあわれな麦粒は、どれほど苦しむでしょうか―雨、雪、風、陽に。霊魂もまた、教会という大きな畑に神がおまきになる小さな種であり、苦痛、反対、悲しみ、迫害という天候の中で死ななければなりません。これらの経験のさなかで霊魂がすべてのことに死ぬときに、多くの実を結ぶのです。上等の小麦粉に挽かれ、真っ白いパンになる準備が出来るのです。神の小羊の甘い血と混ぜ合わされて、偉大な栄光の王の食卓に出されるのです。これを、十字架の足下で学びなさい。大切な教訓が含まれているのです。それで私は、あなたの霊魂が苦痛と悲しみと反対のさなかを祝日のような装いで歩むことを望んでいます。

答唱 
先 わたしにとって、生きるとはキリストであり、死ぬことは利益なのです。この二つのことの間で、板挟みの状態です。一方では、この世を去って、キリストと共にいたいと熱望しており、この方がはるかに望ましい。(フィリピ1・21、23)

答 今やわたしは、あなたがたのために苦しむことを喜びとし、キリストの体である教会のために、キリストの苦しみの欠けたところを身をもって満たしている。(コロサイ1・24)

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