マラナタ 主よ 来てください!


畠神父


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 北摂地区大会 9月23日に!

新型インフルエンザの影響で自粛して延期になった北摂大会は、9月23日(水)大型連休の最終日に開催することが決定されました。これで堅信式は無事に執り行われることになりますが、日程が変更になったために出席できない人がある場合、別の機会を設けることも必要なので、出席できない方は早急に申し出してください。 

 聖霊の 七重の色に 五月雨  (詠み人知らず)

 聖霊降臨の日を待つ受堅予定者たちが聖霊に満たされますように!
聖典に記された聖霊の七つの働き
 トマス・ロシカ師(CSB)の「Set Free the Gifts of the Spirit-
Biblical reflection for Solemnity of Pentecost」(Zenit.org 5月27日 by Father Thomas Rosica, CSB )のなかの聖書のまとめの部分だけを取り出しました。これまでは聖霊の賜物の種類と奉仕に説明が偏っていたか、人に内在する聖徳の賜物のように考えるカリスマ論(不可視の神の働きの可視的働きを表現した現存のしるし)だと、聖霊は霊感的なもの(自然の力に基づくシャーマン)のように思い、特殊な人の専売特許と考えて、普通の信者の生活にあまりかかわりがないか、奇異なものとうけとめてかかわるのを毛嫌いする傾向があるようです。そのため、このまとめののように聖書(おもに旧約聖書の聖霊の箇所に基づく)のなかに見られる(聖)霊の働きを分析して簡単に説明してくれる記事は大変ありがたいです。英文から掘り起こして教えてくださったH師に感謝します。

こうして、聖霊の七つの働きの性質を眺めてみれば、神の働きを理解できて、わたしたちの神理解の基本やさまざまの現象の識別の基礎として参考になることでしょう。祈りの方向も祈りの助けにもなることです。もちろん最高の識別の基盤はキリストの福音のことばと行いですが・・・。この分析では、聖書に基づく分析なので後代に展開される聖霊のペルソナ性についての考察はまだ含蓄的なものです。


(1)創世記第1章第1節の冒頭では、(初めに、神は天地を創造された。 地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、) 神の霊は、混沌のうちに秩序が生まれる時を待ちながら、穏やかに水の面を動いていました。 イエスご自身、ニコデモとの神秘的な会話の中で「風は思いのままに吹く。 あなたはその音を聞いても、それがどこから来て、どこへ行くかを知らない。 霊から生まれた者も皆そのとおりである。」 (ヨハネ 3:8) と、身体に感じられる風のイメージを聖霊に用いておられます。 これは、聖典の中の聖霊の第1の働きです。 人間的、世間的な論理に矮小化することのできない、歴史の中の、神の神秘的な現存という働きです、

(2)旧約聖書の中の霊の第2の働きは、ものごとに秩序を与える働きです。 創世記第1章の創造の物語は、この混沌の世界に霊が降ったことを示し、この降下が創造の奇跡を生み、混沌から宇宙を、無秩序から秩序を、だれも知らぬものから共同体を生みだします。 

(3)旧約聖書の中の聖霊の第3の働きは、生命の与え主としてのものです。 創世記は「主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。 人はこうして生きる者となった。 (もはや単なる被造物ではなく、神のイメージに造られたパートナーとなり、彼と共に、彼に向かって神は語られ、この関あなたに対する責任をゆだねられた。)」(創世記2:7) と語ります。 

(4)聖霊の第4の働きは、導きです。 イザヤは、「(エッサイの株からひとつの芽が萌えいで/その根からひとつの若枝が育ち/) その上に主の霊がとどまる。 知恵と識別の霊/思慮と勇気の霊/主を知り、畏れ敬う霊。」 (イザヤ 11:1-2)  「主を畏れ」は、「恐れる」のではなく、神の御業、神の創造の前に畏怖を感じる能力と理解できます。

(5)第5の働きは、癒やしです。 エゼキエルは「わたしはお前たちに新しい心を与え、お前たちの中に新しい霊を置く。 わたしはお前たちの体から石の心を取り除き、肉の心を与える。 また、わたしの霊をお前たちの中に置き、わたしの掟に従って歩ませ、わたしの裁きを守り行わせる。」 (エゼキエル 36:26-27)。聖霊は、人の心に入り、造り直し、健康を回復し、罪を消し去ります。 

(6)第6の働きは、ヨエルが 「その後/わたしはすべての人にわが霊を注ぐ。 あなたたちの息子や娘は預言し/老人は夢を見、若者は幻を見る。その日、わたしは/奴隷となっている男女にもわが霊を注ぐ。」 (ヨエル 3:1-2) と述べる普遍的な働きです。 その日に、全ての人間性が聖霊によって備えられる時がきます。 そして、その日は、預言者が語る、待ち望まれるメシアの時と符合します。 注目すべき方法でイエスの活動と司牧を魅力的にしたのは、この原理でした。

(7)聖霊の第7の働きは、五旬祭の日に起こります。 その時、イエスの弟子たちは「聖霊に満たされ、“霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだし」(使徒 2:4)ました。 聖霊の到来は、キリスト教徒にとって、イスラエルの地理的境界を越えて、まずローマへ、そしてローマから地の果てに至るまでの、世界規模の福音宣教の使命の始まりの合図でした。 それは、聖霊に駆り立てられて人間的な障害を克服する使命(ミッション)です。

 ここから (6)と(7)以降の聖霊の展開は、イエスのメシア(油注がれた者)の使命としての王職、祭司職、預言職を継続する教会の行ける記憶として「カトリック教会のカテキズム」の中にかなりのページを割いて解説しています。典礼・秘跡の項目には目を見張るほどの聖霊についての言及があります。現教皇が教理省長官の時代に徹底的に吟味して書き下ろし収録したものと思われます。 

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