マラナタ 主よ 来てください!


畠神父


<< 1月19日 年間第二月曜日 | main | 共同祈願への参加者からの便り >>

 信徒奉仕職講座 第七回講座

1月17日(土) 信徒の霊性 (祈り)

講 師 来住 英俊 神父 (御受難会管区長)
場 所 宝塚黙想の家

レジメ(プリント資料は省く)

○時間の制限があるので、「ミサの祈り」に限定して話す○

1.ミサの祈り
(1)ミサの祈りは、「御父」に向かう祈りである。
 (イエス・キリストの父である神)
・聖霊において、
・御子(キリスト)を通して、
・御父に向かって祈る(申し上げる)

(2)ローマ典礼では、声を出して祈るのは(ほとんどの場合)「司祭だけ」である。しかし、祈るのは共同体(会衆全体)である。司祭は槍の穂先である。

(3)会衆は、司祭の祈りをただ聞いて、頷いているのではない。司祭の発する声を通して、自分が祈るのである

*シャドウィングshadowingしてみると、感じがつかめる。
*司祭と会衆が対面していると、会衆は司祭の言葉を聞いているという感じになりやすいので、要注意。

(4)ミサの祈りの中でも、「集会祈願」、「叙唱」、「奉献文」に注目してほしい。祈りの文章を研究すると、教義の理解だけでなく、祈りが深くなる。

2.「奉献文」の祈りで、会衆は「キリストと共に、"自分"をささげる」。これこそ、ミサへの行動的参加の真髄である。これを抜きにしては、いかにしっかりと挙行された(司式、説教、朗読、聖歌)としても、ミサは表面的な儀式にとどまる。

「自分をささげる」とは何か?

3.自分のすべて(時間、エネルギー、財産、人脈、自分そのもの)を、神に自由に使っていただこうとすることである。

(1)自分で選択する余地の少ない環境にある入にとっては、「ささげる」とは、ふりかかってくる苦難に寛大に耐える(受け入れる)ことを意味することが多い。(プリント参照  捧げる )

(2)自分で選択する余地が大きい人にとっては、「ささげる」とは、「何が神の望まれることかを識別しようとする」、「決断する」、「決断を勇気を持って実行する」(受難が起こる)ということを含む。

4.「自分をささげる」ことは、人間の善意と努力によっても、ある程度は可能なことである。しかし、人間の力だけでは、どうしても越えられない自己中心の壁がある。

5.勇気や決断力の欠如だけでない。識別の中にも、微妙な自己中心が混じり込む。「今・ここ」では、何をすることが、自分をささげることになるのか?

秘跡と現実生活

6.主日ごとに、ミサの中で、キリストはご自身を奉献される。そのキリストの奉献に合わせることによって、自己中心が骨がらみになっている私も、思いきって自分をささげることができる。

7.キリスト者は、ミサにおいて、キリストの行動(奉献)を象徴的に模倣する。この秘跡的な行動によって、「ささげることのできる自分」を育てていく。(プリント)

8.秘跡においてキリストを象徴的に模倣する行動と、秘跡の外(現実生活)での行動が響き合う(支え合う)。

(1)ミサの中で、キリストと共に自分をささげていくことによって、現実生活の中でも「自分をささげる」ことができるようになる。

(2)現実生活の中で自分をささげようとする地道な実践があるからこそ、ミサの中で自分をささげるということに現実感がある。

ミサにおける「自をささげる」の現実的実行
(『ミサのあずかり方』8章に詳説)

9. 「奉献文」の"奉献"の言葉に集中する。(プリント③審献文)
わたしたちは…ささげます

10.「供え物の準備」で、心を整える。

11.「奉納行列」に心を合わせる。
【参考文献】
1.祈りについての総論的理解のためには、

(1)『カトリック教会の教え』第4部(カトリック中央協議会、2625円)
*執筆者は池長大司教、(2)は(1)の拡充版。

(2)『祈りと恵みの世界』(池長潤、女子パウロ会、1470円)

2.ミサの祈りにっいては、

(1)『目からウロコミサのあずかり方』4・7・8章(女子パウロ会、840円)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
エルサレムの教会における
入信の秘跡後の教話


(抜粋)

なんと不可思議で逆説的なことでしょうか。わたしたちは実際に死ん
だのでもなければ、葬られたのでもありません。実際に十字架につけ
られて復活したというのでもありません。ただ象徴的な動作によって模倣しただけです。しかし、それによってまことの救いを得たのです。キリストは実際に十字架につけられ、葬られ、そして真に復活なさいました。キリストの苦しみを模倣する動作でキリストに結ばれたわたしたちは、真に救いを受けます。

人間に対する、なんときわまりない神のいつくしみでしょうか。キリ
ストは汚れのない手と足に釘を打ち込まれ、苦しまれました。こうし
て、ご自分の苦しみにあずからせることによって、苦しみも痛みも受
けなかったわたしに、恵みとして救いを与えてくださいました。

読書課第二朗読・復活の木曜日

このページのトップへ