マラナタ 主よ 来てください!


畠神父


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 年間 第二主日 (B) 1月18日

 神よ、すべての人はあなたを伏し拝み、
          み名をたたえて喜び歌う。(詩篇66・4)

集会祈願 一人ひとりに呼びかけてくださる神よ、世に遣わされたひとり子イエスは、生涯をかけて福音を告げ知らせてくださいました。きょう救いのことばに心を開くすべての人が、いのちの道を見いだすことができますように。聖霊の交わりの中で・・・・


 第一朗読 サムエル記 (サムエル上 3・3b~10、19)
 
 サムエルは答えた。「どうぞお話ください。しもべは聞いております。」サムエルは成長していった。主は彼と共におられ、その言葉は一つたりとも地に落ちることはなかった。・・・

 答 唱  神のみ旨を行うことは わたしの心の喜び。
      詩篇 ( 40・2+4ab 6,10 )

第二朗読 使徒パウロのコリントの教会への手紙
      ( 1コリント 6・13c ~15a, 17 ~ 20)
 あなたがたの体は、神からいただいた聖霊が宿ってくださる神殿であり、あなたがたはもはや自分自身のものではないのです。あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。自分の体で神の栄光を現しなさい。・・・


 アレルヤ 油注がれた者 キリストによって恵みと真理は実現した。    

 福 音 ヨハネによる福音 (ヨハネ 1・33-42 )
 
 「何を求めているのか」 彼らが「ラビ(先生)どこに泊まっておられるのですか?」 イエスは「来なさい。そうすれば分かる」と言われた。

共同祈願
 一人ひとりの名を呼び、使命を与えてくださる神の招きに、わたしたちがいつも、感謝と信頼をもってこたえることができますように。

 ・キリスト教一致祈祷週間の始まり
 ・2009 いのちを守るための緊急アピール(日本司教団声明)

 

 
                          
説教ノート:
 サムエルの召命物語が第一朗読、第二朗読は、聖パウロの「体は神からいただいた聖霊の神殿」というクリスチャンのアイデンティテイから生じる使命感、召命というもの、そして、ヨハネの福音書の青写真、弟子の召命と育成の基本的な土台について・・・

 みことばー召命ー派遣 という順番がある。

 先週に続いて、今週も、みことばに基づく成長について考える。

(1)福音の要約:

 洗礼者ヨハネから「見よ、神の子羊」と聞いた二人は、物語の中で、イエスに会いに来るが、イニシャチブをとるのは、イエスです。イエスは質問します。「イエスは振り返り、彼らが従って来るのを見て、『何を求めているのか』と根源的な問いを発せられます。彼らはまだその答える知らないので、『ラビ⊸⊸(先生)という意味⊸⊸どこに泊まっておられるのですか』」(ヨハネ 1:38)と質問に答えずに日常的な話題に変えました。 

(※この動詞の「住む」とか「泊る」に類する言葉は、ヨハネ福音書には、40回も出てきます。 これは、「(神の)内在する現存」についてのヨハネの神学を簡潔に表現する動詞です。)

 イエスは「来なさい。そうすれば分かる。」(ヨハネ 1:38)と答えます。 二人がイエスと一緒に泊まり、イエスを見ます。彼らが来て見たことは、アンデレが兄弟シモンに会って、わたしたちはメシアー油注がれた者ーに出会った」という証言です。

 そしてアンデレはシモンをイエスのところへ連れて行きました。

 イエスは、あなたはヨハネの子シモンであるが、ケファ(岩)と呼ぶことにすると 新しい名前を与えられました。

(2)「2009年新生の日メッセージ」から・・・

 イエスのところに泊まる・・・ブドウの木のたとえ話で使われる言葉と同じですが、訳は「とどまる」です。大司教様の年頭メッセージでは、この言葉は、「キリスト者としての成長と成熟を育もう」に大きな恵みの力になることを話しておられます。引用すると・・・

 「わたしたちのキリスト者としての成長はあくまでイエス・キリストに根ざすことによってのみ達せられます。ぶどうの木にとどまってこそ、実りを結ぶことができます(ヨハネ15・1~8)。ぶどうの木であるイエスは、生きるみことばです。キリストにとどまるとは、その人格そのものが「みことば」であるイエスに、日々自分の存在をとどまらせてゆくことにほかなりません」(2009年新生の日メッセージ)

 みことばにとどまること、聖書を読む機会を増やしたいですね・・
この小教区では、聖書百週間などの機会があります。また今年は、北摂地区の地区大会があります。司教様を迎えて合同堅信式ですので、教会全体でこの秘跡の勉強も考えたいと思います。しかしなによりも
皆さんが聖書を一日一度でも開くことです。わたしたちのアイデンティティはみことばに基づくものです。みことばであるイエスに出会うことは言葉だけのことではありません。・・・

 (3)出会いの体験

 イエスに出会ったことは、もう一人の弟子ヨハネにとって強烈な忘れられない体験でした。その日の時間まで覚えています。午後四時ごろだったと・・・聖書全体を調べても、午後四時の数字が出てくるのはこの一か所しかありません。他は、3時とか9時とか12時がよく出てきますが・・・確かに 淡路阪神大震災のその時、多くの被災者にとって5時46分は決定的な瞬間です。誕生の時、そして死の時に、やはりわたしたちは細かい時間まで記録します。それ以前と以後が全く違う歴史的瞬間です。それもその当事者にとって実存的な問いの時間です。わたしたち洗礼を受けた者も、そのイエスとの実存的な出会いを体験します。それ以降は、もはや同じではないのです。聖霊の働きがあったことです。みことばが人となられたように・・・聖霊降臨の体験があり、聖霊は、わたしたちにとって知られざる方ですが、しかしわたしたちの中にいてわたしたちを神の命で満たしてくださるのです。パウロが言うように、わたしたちは聖霊の神殿なのです。それでイエスが来られるとわかるのです。イエスがおられると・・・

 (4)2008年シノドスー司教代表者会議 「神のことば」

 ところで、昨年10月の「教会の生活と使命における神の御言葉」の世界司教会議では、フィリピンのタグル司教(Bishop Luis Antonio Tagle of the Diocese of Imus) は、みことばと出会うために、「人々を真の生き方に導く神の御言葉を聞く環境について意見」を述べました。「『聞くことは真剣な問題です。 教会は、世界の聞き手となるべきですが、聞くことのために必要なのは、教育ばかりではなく、もっと聞く環境(a milieu of listening) を整えることにあるのです。』」
 
 ほとんど祈らない、聖書を読まないクリスチャンというのはありえないのです。みことばはわたしたちの食物、栄養分です。みことばに養われなければならないのですが、みことばに対する乾きというものがまだないように思われます。環境を整えるために、テレビを見ないで黙想の時間を持つとか、みことばを読むということが必要です。わたしのブログでは、みことばとその日の集会祈願を掲載しています。集会祈願は教会の信仰、典礼のなかで築いてきた信仰理解、神理解が現れています。これを毎日生活のなかで祈りとみことばを織り込みながら
血となり肉として食べるようにしてほしいのです。

 ちなみに、タグル司教は、聞く環境の開発について次の3点を提案しました。
1.信仰における傾聴とは、神の御言葉に自分の心を開くことを意味します。 神の御言葉が自分に浸透して、自分を変えるように心を開くことです。それは、信仰における従順に等しいことです。聞く姿勢を整えることは、信仰全体を形造ることなのです。

2. この世の出来事は、聞く姿勢の欠如を示し、それは悲劇的なことです。 それは家庭の中の争い、世代の間の違い、諸国間の違い、そして暴力を生みます。 人々は、独り言、無頓着、ノイズ、自己陶酔の世界に陥ります。 教会は、対話、敬意、信者相互の、また個人的な(神との)超越の環境を提供できるのです。

3. 神は語り、奉仕者として教会はその声を世界に導きます。 しかし神は単に語るだけではなく、神も耳を傾け、とりわけ、公正な人、寡婦、孤児、迫害を受ける人、そして声のない貧しい人に耳を傾けます。

 主な要旨は以上です。

 最後に、日本の司教団は、「2009年いのちを守る緊急アピール」を発表しました。からしだねに全文を掲載しましたが、経済危機により、ことに小さな人々に社会のひずみ、経済の破綻が大きく影響して、いのちをさえ危機に直面している状況にいる人がいるのです。わたしたちの典礼は決して 祭壇の礼拝と隣人愛の行為を矛盾させてはいけません。もし矛盾するならば典礼そのものが無になってしまいます。わたしたちが日々何ができるのか共に考え、祈りましょう。

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