マラナタ 主よ 来てください!


畠神父


 研修会 (人間としての識別)

10月10日~12日 
場所 大阪大司教館
指導   マヌエル・アモロス神父 (霊性センターせせらぎ 代表)
ヘルパー  シスター テレシータ (愛徳カルメル修道会)
        シスター ロサリア  (スピノラ修道女会)

 評議会などの識別共同体への道を歩むために、個人の識別の土台を学ぶ研修会が前回に続き、カルロス・カルバス神父(ラファエル・ランディバル大学副学長、イエズス会、所在地:グアテマラ)のテキスト、「深い望みとの踊り」-霊的成熟のためにー
(霊性センターせせらぎ 編)の学びを柱にして開催され、各地区から集まった参加者にさらなる研修が行われた。

 今回は46ページから86ページまでの内容でした。

識別1アモロス神父と祈り推進チーム

識別2個人作業のあとグループ分かち合い、ここで各自の体験を分かち合いながらメンバーの話を聞くことで自分の受け止め方を確認したり、深めたりすることで内容が身近になる。

識別3最後のミサのあと記念撮影
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 十字架の聖パウロの手紙から

謙遜に生きなさい。神の内に投棄し、キリスト共に十字架に釘づけられなさい。神のための愛ならば、そこにこそ、幸せがある。 
"...Live humbly... abandoned in God, crucified with Christ, happy only in... (the)love for God.

~Paul of the Cross' letter to Agnes Grazi 14th letter on October 4, 1734 in Volume #1 - Paul's Letter #76(スーザン・ハーカー)

 10月11日 福者ダミアン神父 聖人の列に加えられる。

”Priest who comforted lepers to become saint...."Damian

 ハンセン病患者のための使徒として知られるダミアン神父は1840年ベルギーに生まれ、ハワイのモロカイ島で、不治の病と言われたハンセン病患者の宣教・司牧に尽くした。1899年49歳帰天。1995年に教皇ヨハネ・パウロ世はダミアン神父を列福した。10月11日 バチカンで他の4人の列聖に加えられる聖人と共にダミアン神父も聖人の列に加えられることになりました。(2009年4月26日発表)新聞記事添付:ダミアン記事
 
 1840年ベルギー生まれ、1864年、イエズスとマリアのみ心の宣教修道会に入会、ダミアン神父は、9年後には、モロカイ島のカラウパパ半島の居留地に赴いた。そこには、1850年代にハワイで流行したハンセン病患者8000人が隔離されていた。ダミアン神父は、その地で彼らと共に住み、自身もハンセン病に罹患し、彼らの一人となって1889年49歳の若さで亡くなった。

 この度の列聖には、神父のとりなしを願ったハワイ人の末期癌の患者トグチさんの奇跡的な治癒が証しとなり聖人とみなされました。
ZENIT記事(引用)
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 10月9日 聖イノセント司祭殉教者 御受難会固有 祝日

10月9日 聖インノセント(無原罪の聖母の)司祭殉教者
無原罪の聖母のインノセント(エマヌエ レ カノウラ アルナウ)は1887年3月10日、スペインのモンドネード教区内のサンタ・ルチア・デル ヴァッレ・デ・オーロに生まれた。1905年7月27日に誓願を立て御受難会会員となった。1913年9月20日に司祭に叙階され、スペインの尊き御血管区の諸共同体で、聖なる役務に献身的に従事。いわゆる「一九三四年のアストリエ革命」の年、トゥロン(Turon)のラ・サール会(キリスト教学校修士会)の学院でミサを捧げていた時、8名のラ・サール会修士たちと共に、教会の敵対者によって投獄され、同年1934年10月9日、全員銃殺刑に処せられた。1999年11月21日、教皇ヨハネ・パウロ二世によって聖人の列に加えられた。



読書課
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 10月6日 福者イシドール・デ・ロール修道士 祝日 御受難会固有

10月6日 福者イシドール・デ・ロール修道士 (祝日)

御受難修道会では聖ヨゼフのイシドールとして知られるイシドール・デロールは、1881年4月13日、東フランドル地方のジェン・ガン教区のヴラセーヌという小さな町に生まれた。家は農家で、イシドールも野原や畑での仕事を愛しながら成長した。26才のとき修道生活への神のよびかけを感じ、助修士としてエルの御受難会修練院に入った。1908年9月13日、誓願をたて、その後は謙遜に共同体に仕えた。また共同体への奉仕にくわえて、会の精神を保ちつつ、特に深い祈りと償いの生活を送った。彼の右の目は腫ようにかかり、1911年に摘出しなければならなかった。修道者たち、助修士たちの中でイシドールは、愛徳と単純さ、仕事に対する誠実さと潜心の精神ゆえに尊敬されていた。数か月間、激しい痛みに苦しんだのち、1916年10月6日、ガンと肋膜炎で亡くなった。35歳の若さであり、修道生活はわずか9年間であった。 人々は彼のことを、〝気のよいブラザー〟、〝神のみ旨のブラザー〟と呼んでいた。1984年9月30日教皇ヨハネ・パウロ二世によって列福された。

神のことば フィリピ3章7~8a節
 わたしにとって益であったものを、キリストのゆえに わたしは今、損と思うようになった。そればかりか、わたしの主キリスト・イエズスを知っていることのすばらしさのゆえに、いっさいのものを損と思っている。

答唱
 先 深く味わって悟りを得よ。
 答 神をおそれる人には乏しいことがない アレルヤ。
 先 神を仰ぎ見る人の顔は輝き、
 答 神をおそれる人には乏しいことがない アレルヤ。
 先 栄光は父と子と聖霊に。
 答 深く味わって悟りを得よ。
神をおそれる人には乏しいことがない アレルヤ。

結びの祈願
主なる神よ、あなたは福者イシドール修道士の謙遜と労働の 精神のうちに、十字架の影に隠された生涯の模範を示してくださいました。私たちの日々の働きがあなたへの賛美となり、また兄弟姉妹たちへの愛の奉仕となりますように。
わたしたちの主イエズス・キリストによって、アーメン。
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 青年の集い

青年の集い ―― ともにさがす会主催(注参照) ―

 
池田教会、カール記念館で午後2時より青年6名(女性2名、男性4名)とともにさがす会スタッフ、松浦謙神父、SR篠崎、Sr小越、Br阿部、畠神父と一緒にみことばの分かち合いと夕べの祈りと聖体賛美式、そして食事を囲んでの団欒の時を持ちました。前日までは、申込者1名という悲観的な状況の中で、必死の祈りと呼びかけで5名の青年が参加してくれました。神に感謝!

スライド1スライド9Slide10

(1)ルムコの信仰入門講座の聖書朗読法 七ステップ法を全体の流れにの骨子にして集いが進められ、ルカ福音書24章13節~35節までの聖書箇所をゆっくり読み、心に響いた箇所を各自が祈りの心で読み上げ、その後、ポイントごとに再び読み、休憩後、それぞれの箇所の魂に響いた箇所を分かち合った。集い1集い2

(2)第二セッションは、それぞれの幼いときに育った家の見取り図を描き、そのなかで、プラスのイメージとマイナスのイメージの記憶を思い起こす時間をとった。


(3)聖体賛美と夕の祈りは、Br阿部のギター伴奏によりテゼの賛美の歌を歌ってご聖体を迎え、教会の祈りの詩編唱和を唱えた後、ルカの15章1節~一匹の羊を探しにでる羊飼いの箇所を朗読した。短い松浦謙神父の解説と祈りの導入があり、その後沈黙のうちに祈り、イエスを自分の家に迎えたプログラムで幼い日の思いを思い起こしながらイエスとの対話に入った。
集い3集い6集い7

(4)シスター篠崎が料理してくれた炊き込みご飯と野菜煮込みうどんを食べながら歓談した。とても温かい雰囲気を感じたとの感想を青年たちからもらった。集い03

ともにさがす会 (注)続きをご覧ください。
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 十字架の聖パウロの手紙 

あなたが深い神の現存の思いに圧倒されるなら、他のどんな祈りも行おうとしないで、その神の現存の感覚を味わいなさい。神に自分を委ね、神に憩い、すべての思い煩いを神の御手にゆだねるのです。明日のことは思い悩まず、今の時を生きればよい。今においてこそ神はいつも善き喜びに満たしてくださるからです。"...When a deep recollection comes over you from the Presence of God, accept it without attempting any other prayer. Abandon yourself to God, rest in God, and turn over to him the care of everything. Do not worry about tomorrow; live for the moment, fulfilling the Good Pleasure of God always..."

~Paul of the Cross' letter to Agnes Grazi 10th letter on April 17, 1734 in Volume #1 - Paul's Letter #72
スザン・M・ハーカー(Suzanne M. Harker)さんの霊的サークルから

nissei01コルベの森だより表紙絵から 
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