マラナタ 主よ 来てください!


畠神父


 コットンネ共同体を訪ねて

15日から17日まで二泊三日の短い滞在ながらコットンネ共同体の王神父、ブラザーシンを訪問し、施設の見学とその霊性の活動を体験してきました。
(コットンネ共同体への行き方:金浦空港からバスで東ソウル・バスセンターまで1時間半、バス・センターからコットンネへまで1時間50分です。東ソウルバス・センターではコットンネまで一日8便あり、直通です。)
 
入口にあるチェ爺さんの墓
ちぇさんの墓
王神父のインスピレーションとなったチエ爺さんは共同創立者として尊敬されている。
修道会本部聖堂本部聖堂 ここで毎日ミサがある。
 
 山里離れたコットンネ(花の村)というところは、総合福祉センターという趣があり、「ゆりかごから墓場まで」、新生児から高齢者まで、家族の崩壊、経済の破たん、知的障害や身体障害、認知症やエイズ、ハンセン氏病、結核などなどあらゆる形で隔離され見捨てられた人たちの最後に行くところとして、花村(コットンネ共同体)という場所が韓国にあります。ここは姥捨て山ではなく、神の国が目に見える愛の共同体が活動しているところです。まったく変な新興宗教の活動ではなく、正式に認可された修道会として成長し、福音宣教活動として愛の実践を宣べ伝えることです。韓国社会が、朝鮮戦争以降の冷戦、南北対立、などなど経済的政治的混乱から立ち直る中で、社会や家庭から落ちこぼれ路上に捨てられた人を引き取り、最後まで面倒を見るので、その使徒職の誠実な取り組みが多くの人の支持を受け、社会的に認知されているのです。韓国大統領も支援し、韓国の企業も寄付し、一般人も信徒も協力して百万人の支援者によって成り立っています。毎月一人一ドル献金の運動の成果でもあります。この共同体には5000人の人が毎日食事をしているのです。そのお金はすべての浄財によって賄われているという聞きました。年金を囲い込む貧困ビジネスではなく、まさにイエスが貧しい人を愛していることを身をもって示す活動です。無償でホームレスの人を引き取り回復するまで、あるいは死ぬまで面倒を見ているのです。
墓15000人が眠る墓 
(このコットンネで亡くなった人は火葬して灰にしてしまうのではなく、一人ひとり墓碑銘に名を刻み、土葬で埋葬して、復活の日まで安心して眠ることができる場を提供する。山一つを墓地のために購入している。)

新生児墓水子供養の墓もある。中絶した人たちの回心のシンボル

 日本でも多くの修道会が同じようにしたのに、どうして衰退しているのか?多くの小教区が貧しい人たちのために支援活動を続けている。脱宗教世俗社会の日本では、無縁死3万2千人、12年連続自殺者3万人の無縁社会の出現がマスコミに取り上げられて社会に衝撃を与えている。愛の実践を伴う信仰が何よりも求められる。愛に恵まれず、孤立した人たちの群れがあり、貧しい人ですらビジネスの対象としてしか世話を受けないような人々がいる。これはほんの象徴的なことですが、もっともっと悲惨な現実があります。コットンネは祈り、徹夜の祈りが月一度行われ、熱心に祈る人が集まる。”Love in Action" の標語で、互いに挨拶は、「愛しています」を言葉とジェスチャーで交わす。(ジェスチャーは、ハートの形を両腕で描いて頭におく)

 コットンネのような純粋な愛の実践を伴う信仰者が貧しい人々を世話する霊性が必要なのではないかと。わたしは、日本にコットンネの霊性を立ち上げてほしいと王神父に希望を語りました。本当に望むなら自分の部屋に貧しい人を引き取って一緒に住む覚悟がないとだめだと王神父の答えでした。それぐらいでなければ彼らは信じてくれないだろうと・・・。その覚悟があるのか?鋭い質問を投げかけられました。
王神父

 ソウル駅での活動:
 毎週火曜日にソウル駅でホームレスの人に簡単な食事を提供して、それから駅周辺を巡回して、体が弱って動けない人や寒空に我慢できなくなった人に声をかけ、コットンネに連れて行きます。アルコール中毒の人が多いので、いったんコットンネにいてもお酒が恋しくなって、またソウル駅へ戻ってくる人もいるということですが、数年間おつきあいしているうちに、段々変ってきて他人の世話をすることができるまでに回復し、社会復帰できる人もあり、それがコットネの目的でもあるのだとのこと。医療相談、家庭相談、就職活動支援などもしており、コットンネには介護福祉大学が併設され、病院には15名の医者が働き、シスター280名、司祭・ブラザー100名ほどいる巨大な修道会にまで発展しているのです。

ソウル駅
ホームレスのいるところに毎週火曜日訪問し、コットンネへの希望者を募る。黙想の家の売店スタジオ黙想の家の食堂(朝食)
左から黙想の家の売店、テレビスタジオ、黙想の家食堂ー(王神父とBrシン)

 訃報

マリア 堀江 和栄さんが去る11月11日に病死されました。池田教会で2008年3月23日の復活徹夜祭に洗礼を受けられ、イエスの救いに憧れ、それが叶えられた喜びの表情は忘れられません。入院中に訪問して聖体をお授けしたときには、目を閉じてしばらくの間、愛するイエスを迎えした喜びを満面の笑みで表され、イエスの名を何度も呼んで礼拝しておられました。この度は、入院の連絡もなく、最後の時を準備する間もなく天に召されましたが、愛するイエスの内に、永遠の愛の宴に与り、生前あんなに憧れ待ち望んでおられた永遠の命の喜びに満たされて憩っておられることは間違いないと思います。ご遺体は献体されたとのこと、皆さまのお祈りをお願い申し上げます。74歳のご生涯でした。堀江さん代母の田中邦子(右)さんとともに
今年の復活祭の在りし日の姿(2010年4月4日復活主日)

 メガネ発見!

 なんとメガネが見つかりました。記憶をたどって最後に見た日は、車だった。でも何度も何度も車の中を捜し見つけることが出来なかったのに、マリスト会の墓地を訪問して、天の助けを祈った後、ティシュ箱の下からメガネケースが出てきて、嘘だろうと目を見張って中を見るとちゃんとメガネがありました。10月8日から11月12日の今日までひと月ばかりパソコンと読書用のメガネが紛失し、何度もメガネを購入しようという誘惑にさらされましたが、どうも腑に落ちないので、我慢し続けました。いずれ出てくるはずだ。可能な所、行動範囲の全体を何度もくまなく探したし、いろいろな人に聞いて恥もかいた。どこへ落としたのか?もう疲れた。いや、いつか出てくるはずだ。ブログに書き入れることは目が疲れる。もう避けていました。

 聖アントニオさまならぬ聖マリスト会の聖なる宣教師たちへのお願いが効いたかな・・・。きっとジョークして笑っていたのでしょう。あれはまじめすぎるからな・・・ ときどき笑わさないとだめになるかもとか・・・心配してくれたのかな。

 メガネを紛失して、何かを失うことよりも、自分の中に知らないことが生じたようでとても困惑しました。あるはずのものがない。ずっと記憶をたどり、思い出して、ようやくあの時からないのだという車に行きついたのでしたが、探してもそれがないので困惑して、ようやくドアから落ちたのかもと納得し始めたところでした。 

 発見できた時は、とてもうれしくおかしさが湧き上がってきました。失うまいとして、いつも使わないところへ置いてしまったのでした。銀貨を失って発見したあの喜びがわかるようです。日生中央の金曜日の10時のミサには誰も来なかったので、一人で大きな声で歌い、感謝のミサをささげました。マリスト会の亡くなった神父さんたちも一緒に安心して笑ってくれたことでしょう。このところ笑うことも休むこともない毎日の連続でしたから・・・。

 墓参 (御所 gose  マリスト会墓地 )

11月11日(木)奈良県御所(ごせ)市に出かけました。

 今年は パウロ・グリン神父さまの黙想会や講演会を企画し、「愛の鉄道」の上映会などグリン神父さんを迎えてお話を聞くこともでき恵まれた一年でした。11月、死者の月、別の要件で御所教会を訪問したのですが、この御所教会の敷地には、マリスト修道会の恩人神父さま方が葬られていることを教えていただき、霊に導かれたように墓所を訪問しました。今年の縁(えにし)なのでしょう。

 1983年春から1984の復活祭まで私は、奈良教会の助任として派遣され、叙階後の最初の一年をマリスト会に預けられ研修するように命じられたのです。マリスト会の神父様たちから末っ子の弟のように兄弟的司祭の交わりに入れていただきました。トニ・グリン神父さまは、その頃、日豪の和解と交流のとても重要な局面にあって遁走しておられことが、ー豪日に架ける「愛の鉄道」ーを見てわかりました。もっとあの頃よく教えていただければよかったなと思うのですが、日本人の司祭ということだけで内容がなくてもよくほめていただきました。「彼はちゃんとした日本語を話しますから・・・」(そう言われると、わたしは自分の日本語に自信がなかったのでちょっと気恥ずかしい気持ちでした・・・)。トニ神父様は、カリスマ刷新の司祭黙想会を日本で最初にイニシアチブをとって企画し、三田の大学セミナーハウスで毎年100名前後の司祭が参加する大きな会になりました。世界中の有名なカリスマ刷新の指導者を迎える交渉力や運営費のねん出に尽力されていました。わたしも刷新の祈り会からは神学生の間は遠のいていましたが、この時、サリバン神父とSrブリッジ・マッケナの黙想会に全額無料で招待され、恵みにあずかることができたのはマリスト会の神父さんたちのご好意によるものだった。

 「御所」というところは、70年代後半頃 ベトナムからのボートピーポルを受け入れた難民キャンプがあり、マリスト会の神父さんがその受け入れに政府と交渉したりしていました。ちょうど、外務省の役人に大学の先輩でTさんという方がいて、視察に来られたので一緒にキャンプを訪問しました。同じころ、Sさんとも難民の定住問題で接触がありました。Sさんは、カトリック信者で国井神父さんの命の恩人です。(※ドイツ留学前で勉強のしすぎで心臓が弱って、風呂に入って眠りこんでしまい、発見が遅れれば亡くなったところを、当時東大の学生だったSさんに発見されて救われたという事件がありました。)Sさんは東大の国際政治学博士課程から転身して国連に入り、香港にある国連難民高等弁務官に任命されて日本に戻ってきておられ、日本政府に様々な要求をしていました。わたしが神学生の頃、ウォード神父さんは彼が司祭になるように祈り続けておられ、わたしにも祈るように要求されたのですが、どんな聖なる司祭の祈りも本人にその気がなければ実現しないという見本のような体験でした。正義感にあふれ、容姿端麗、ありあまる能力に実力が伴い、日本政府の役人を翻弄できるこんな素晴らしい人物が教会にいる、この人が神父でいてくれたらとどんなに素晴らしことだったろうか?ウォード神父は彼に惚れこんでいました。私たちは失望せず祈り続けたが、彼は、でもあまりの素晴らしさのために、日本政府からの抵抗もあり、ポストを降ろされる不遇な時がありました。その後、もっと才能に恵まれたすばらしい女性と出会い、その後は奥さんが国連で働き、彼は主夫業に専念し子供の教育に専念して表舞台から退きましたが、それでも家族でジュネーブに住み、国際派の日本人として華麗な雰囲気があり、何事も時代の先端を行くような人物でした。司祭職にはこのような華麗さはいらないので、やはりそれは無理で無駄な祈りだったような気もします。トニ・グリン神父さんは、その華麗さと司祭職を兼ね備えた人物でした。その一端は、国際的にも、テリアビブで事件を起こした赤軍派のテロリスト岡本公三との面会に成功したこともあるほどの外交官のような行動家でした。

 わたしは、もう、還暦を迎える60歳で、回顧録ではないですが、このマリスト会の墓所にきて、墓石に刻まれる神父さんたちの名前を見ていると、それぞれの神父さんの思い出がありありと浮かび上がってきて、感慨深いものがあります。亡くなった年齢を見ると、私よりも若く亡くなった神父さんもあり、ずいぶんと年上に見えた神父さま方が、ほぼわたしと同年代に亡くなったと知ると、何か驚くものがあります。まだ若かったのだ!まだまだやり残したことがあったのだろうと思うと同時に、わたしも何も残さないうちに世を去る時期が来るということが現実のものとして感じられるのでした。

 いい時間だった。そして追悼のミサをして感謝をささげて、御所を去りました。わたしができることはこのような地味なことです。どうか一日も早く、天においても地においても神がすべてにおいてすべてとなるように、とりなしてくださるように祈ります。・・・神父さま方 ありがとうございました。

 
 御所墓所1 御所2

 愛犬エミリーちゃん 老衰と熱中症で絶命

司祭館の中庭に家主のようにデニス神父に飼われていたエミリーちゃん、乳がんで7月ごろにはかなり弱っていました。デニス神父によれば、動物病院に連れて行って治療の可能性をうかがったところ、老犬(13歳、25匹の母親)なので、手術に耐えられず、なにもしない方が犬にとっては幸せということで、デニス神父さんはなにも処置をしないでそのまま帰国、その間、Fさんが代わりに、食べやすい餌を与え、水かえを頻繁にして様子を見てきました。しかし、この夏の暑さのため、急激に体力を失い、元気を失って食べるのも難しい様子でした。ときどきわたしも声かけて水をあげると少し元気になるようでしたが、エミリーちゃんは、デニス神父の帰国を待たず、8月21日に絶命しました。エミリーちゃん絶命3日前の在りし日の姿

 長い休養をいただきます。

 なかなかブログが書き込まれないので 心配された方もいるかもしれません。もちらん誰からも問い合わせはありませんでしたから、影響力は全くありませんね・・・

 7月は、サレジアンシスターズの黙想会指導のために山中湖で8日間をすごし、東京周りで大阪へ、その後、また売布、宝塚黙想の家で 司祭黙想会のヘルパーを務めていたのです。かなりハードな7月初夏の毎日でした。

 2週間の黙想会・・・ 大したことではないようですが、
 これが普段のリズムと内容が違うので苦戦の連続です。

 シスターの黙想会は3年前にも引き受けて今回は同じ内容ではできないので、最後まで何を話すかで苦労していました。テーマが決まったのは、黙想会を始める前日の真夜中、それから資料を整えて、翌日の日曜日のミサを終えてからの出発、ほとんど寝ないままに最初の日が始まり、それから、一週間、一日二回の講話(各45分)とミサの説教を毎日深夜までに考えるという生活、散歩も一週間で30分、テレビはゲゲの女房の15分と夜のNHKニュース30分だけで あとは祈りと読書と講話の準備の生活です。睡眠5時間、充実した生活で全く疲れなかったように感じたのですが、小教区の司牧とはちがう疲れで、かなり後遺症がつづいています。たとえば、体力的には、3年かけて一週間に一回か二回のペースで水泳を続けてきたので、このごろでは35分で1200メートルが泳げるようになったと喜んでいたのですが、黙想会後は三年前と同じ600メートルしか泳げなくなりました。息が続かないのです。貯金を使い果たしたのかも。60歳の誕生日には1500メートルを息が切れないで泳ぐのが目標なのですが、達成できるか危なくなりました。

 司祭黙想会では、パウロ・グリン神父さんの講話を聴くだけで休みになるかと思ったけれども、そうでもなくかなり疲れました。90歳のダニエル神父さんから、あまりに寝ないと短命になるよ、わたしの知っているほとんどの体力のある神父は、あまりに寝なかったので50代後半から60代くらいで死んだから、あなたも危ないですねと脅かされました。見たところ、かなり疲れているようだねと言われて、ご自分の薬を処方してくださり、飲むとかなり改善されました。90歳の神父さんは若い時は体力がなかったけれども、健康に注意し、睡眠をよくとるように心がけたので長命になったと思うと言われるので、非常に説得力がありました。実際、いままで飲んだこともない睡眠剤は、翌日は効きすぎて、・・・寝ぼけて整髪料を頭にかけたつもりが、眼に入り、痛くて痛くて・・・目が覚めた日もありました。

 集中力が ずっと落ちています。 まだまだブログはお休みです。

 ふるさとへ旅立つ 二人のマリア・テレジア

今日は二人の方が天に召されました。
一人は日生中央教会のマリア・テレジア長谷川典子(みちこ)様。金曜日の午後3時、イエスさまと同じ十字架の贖いの時刻に御父のみ手にご自分の霊を渡されました。奇跡の人で、すい臓がんを克服し、体力回復のために忍耐の日々を過ごし、ご自身の体験から多くのがん患者を励まして、信仰の力をあかしされました。このたび聖霊降臨後の翌月曜日聖母訪問の祝日に突如意識を失い、2週間、多くの方の祈りも届かず、帰らぬ人となられました。ご長男の洗礼名を御受難会の創立者十字架の聖パウロと名付けるなど、御受難の霊性、御受難会の司祭に対して並々ならぬ支援と協力を惜しまない人でした。
 
 

 通夜 2010年6月6日(日) 午後6時   司式 畠 基幸
 葬儀 2010年6月7日(月) 午前11時  司式 ウォード・ビドル
 場所 日生中央教会 
 喪主 長谷川 正 (長男)


もう一人は、池田教会所属のマリア・テレジア喜多美佐子様。月曜日から入院し、しだいに衰弱し、木曜日夜は医者が今夜が峠ということで親族が集い、わたしも臨席して、喜多さんに臨終の秘跡を授けお祈りいたしました。主の祈りも天使祝詞も古い祈り文を思い出しながら祈りました。聖体拝領が酸素マスクでできないので、聖体賛美の祈り、タンテム・エルゴを歌いご聖体を顕示しました。和解の言葉とゆるしの言葉にわたしの手を強く握って応えられ、病者の塗油に再び生きる意欲のようなものが感じられたので、イエス様と共に苦しみを人々の救いのためにささげましょうと励ましました。翌朝午前中は、危機的な状況を脱して、話ができるほど回復され、小康状態でこれなら再び老健に戻れると期待でるほどでしたが、午後から体調が急変し、5時17分に帰天されました。96歳、天寿を全うされました。ご遺体は遺言で阪大病院へ献体されるため(2~3年後に遺骨で遺族に戻される)、通夜・葬儀・告別式行わず、後日親族だけで追悼ミサを営む予定。洋裁店を営み、多くの信者さんのお世話をし、バザーでも数々の手作り品を出品し、現在の侍者服も喜多さんの型紙のアイデアで制作されたものです。晩年自宅で療養され、この二年間は老健施設(巽病院)で過ごされました。わたしは忙しさにかまけてあまり訪問できなかったことが悔やまれますが、時に秘跡(ゆるしの秘跡とご聖体)をうけるために教会に来られ、司祭のことばをイエスのことばのごときに信頼して受け入れてくださったことが印象深く心に残ります。教会を愛し教会に奉仕した喜多さんは信仰の恵みをうけて天に昇られました。お祈りください。
            以 上

 聖霊降臨の前のノベナ(九日間)の祈り

主の昇天は復活主日から40日目、全世界で今週の木曜日5月13日に迎えます。日本の教会の典礼では、主日にしか信者が集まらないという司牧上の理由で、5月16日を主の昇天の主日として定めています。

A・ドモンティニ神父様(レデンプトール会)の翻訳でノベナの祈りを見つけましたので掲載します。聖霊降臨を準備する個人的な祈りとして良いものだと思います。通常、主の昇天(木曜日)の翌日の晩から聖霊降臨の前晩までの九日間をノベナの祈りとして毎日何人かで祈ります。オーストラリアのCCRからノベナの祈りの呼びかけがありました。これらの祈りも掲載する予定です。さまざまな方法で聖霊降臨の恵みを願いましょう。
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 新しいぶどう酒

ブログの更新がなかなかできません。ゴールデンウィークには、北海道札幌へ大会講師として出張いたします。なかなか全体の構想が生まれませんので皆さまのお祈りお願いします。

 大会のテーマは、「味わい、見よ、主の恵み深さを」(詩篇34:9)です。マテオ神父のトレードマークだったみことばです。

 この味わいのテーマは、今年の四旬節で、長崎西町教会、奈良登美が丘教会と黙想会の講話の中で、「あたらしいぶどう酒」という象徴を使って話を展開しました。

以下の講話は、奈良登美ヶ丘教会で3月5日夜に話した第一講話です。講話は三回あり、話した分量はもっと多いのですが、教会広報部で「丘の星」発行100号を記念特別号に収録するため、編集縮小されました。その分よくまとまり、わたしはアウトラインもなく、ただひたすらに「新しいぶどう酒」というテーマだけを考えて、突っ走って出てきた内容です。終わってみて聞いた人がタイトルまでつけて、ここまでまとめてくださったのに脱帽しました。そして、わたし自身、こんな話をしているのかと勉強不足の自分の生の姿を見て、卑下することなく聖霊に感謝いたします。絶妙にわたしの足らない部分が補われているからです。同じ話はもう一度できません。原稿はありません。私が話した表現で誤りの事実と発言の内容の違う点は少し訂正しました。
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 豊中 朝祷会

3月20日 午前10時~11時半
 日本キリスト教団 豊中教会

 プログラム
 賛歌
 聖書箇所の輪読
 畠 師   講話  20分
 列席者全員による祈り
 主の祈り
 食卓を囲んでの昼食会 
 (おにぎりとアンパンとお茶)
 
聖書箇所は、カトリックの聖書朗読箇所に従い、翌日の第五主日の福音朗読をレクチオ・ディビナの読み方を紹介しながらその霊的な生活の糧を分かち合った。
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